ラウンド出撃後、QLD戦線あたりで苦しい転戦を続けていた鎌田さんですが(ろくなファームがないぞ戦線)、心機一転タスマニアに移って、おおー!という楽しい日々を過ごされ、無事二回目のチケットもゲットし、シドニーに帰還しました。
が、本当に難しいのはこれからだよねって話になったのでした。二年目もねー、取れてしまえば、「それがどうした?」って気になるし、こんなの2年もやってていいんか?という不安も出てくるし、2年目になにをやればいいのかわからないし。2年目を決めるためには3年目をどうするという広い視点がいるし。
もーねー、二回目ワーホリ制度なんか止めたらいいのにって思ったりもしますね。なまじあんな制度があるから、ついついそれを目指したりするわけで、それが良くない。昔の1年ポッキリ時代の方が、皆さん個性豊かなワーホリをやってたように思います。
最初からそんなもんが無かったら、よし、俺はこういう一年にしよう!と自分でテーマ設定をしますから、メリハリの効いたものになる。でもこのテーマ設定はかなり難しい。テーマが難しいんじゃなくて、「自分で決める=自分に向かい合う」のが難しいのですよ。それに比べれば他人の真似する方が楽ですけど、それって「カンニング」やってるようなもので、あんま意味ない。そればっかで一生を終えたら、墓碑銘に「他人の真似をし続けた男(女)ここに眠る」と書かれるだけで、それでいいんか?と。
さらに「他人に決めてもらう」のはもっと楽です。大学入試も就活もしかり。考えなくていいもんね。それが二回目ワーホリ。別に「二回目を取れ」と移民局は「指示」しているわけではないんだけど、なんかしらガイドラインがあると、それに沿って走ってしまうという。目印があった方が楽ですからね。でも他人に決めてもらって楽になりたかったら、日本で仕事してりゃいいんですよ。その方がずっと儲かるし(ファームで2万ドル稼いだって、年収180万ですからね)。
そうやって目先の楽をやってても、楽のネタが尽きたところで、いよいよ自分と向き合うときがくる。就活して花の正社員になったところで、仕事詰まらんわ、上司クソだわで悩む。仮にそれがクリアされても「一生これかよ」的な思いにぶち当たる。それもやりすごすと、同じ問題が30代で、40代で、50代で繰り返しやってくる。そして晩年になって「こんなもんだったのか」と思う。
言えるのは、後になればなるほどリカバリーが難しくなるという点です。だったら早いうち、できれば十代のうちに何らかの(ときとして爆発的な)化学反応があった方がいい。世間という岩盤に、自分という手榴弾を投げつけるような一世一代のなにか。どのエリアのプロでも、あるいはヤンキーでも、十代でそれやってる人は多い。なんらかの「肚括り」はしている。だからその後他人をそんなに気にしなくなるし、またそんなに鬱になったりもしない。総じていえば、ヤバくなるのは真面目な優等生タイプが多いような気がする。手榴弾投げてないし。
で、鎌田さんはその縮図的帰路に立ってますということで、「二回目取れましたねー」「取れましたねー」「で?これから?」「うーん」という。
や、それでいいんですよ。お茶の作法のように、あーやって、こーやってって段取り踏んで、ようやくその作業がやってくるというのもアリですから。いよいよこれからが本番です。
シドニー帰還後、とりあえずこんな英語力じゃダメだ!って思いが突出してたので(それは皆言うよね)、2年目はガチで英語やりたい、学校また行きたい、でも学資がない、稼げということで、どっかのローカルの土産物屋でバイトをゲットしたものの、これが詰まらないわ、微妙に精神的に辛いわ、もっと他にないかと探し中。また、なまじ英語ができるようになった分、英語が怖くなった。まあそれは喜ぶべきことです。昔は恐さがわからないくらい英語ができなかったんだから、進歩してるって。
ただ、Wavertonに格安で楽しいファミリーシェアを見つけたのが収穫。シェアメイトを入れるのは初めてというオージーご一家で、初めてだから昔の感覚でかなり安く値付けしちゃって、それをバシッとゲットした鎌田さん(その後数十ドル値上げしたそうだけど、鎌田さんは既得特権)。そのあたりは、さすがラウンド戦線で鍛えられてきただけのことはあります。勝負師として強くなってる。
別に二回目があろうがなかろうが、あれだけのことをやってきたら、それなりに収穫はあるんだし、成長もあります。純粋に事象としてみれば、意味はバリバリあるんだけど、二回目というフォーマットで見てしまうと、それらが見えなくなる。単に「二年目取れただけ」と物事を矮小化してしまう。そこが課題のその1。
課題その2は、そもそも何しに来たの?という原点回帰です。それはどういう人生にしたいの?という茫漠とした地平につながってます。わからんよね、こんなもん。それがすっと分かるくらいだったら最初から苦労しとらんわって。
でも別に今の時点で分かる必要もないんですよね。というか、一生「分かる」なんてことは無いかもしれない。「うーん、こっちかな?たぶん」という半信半疑は一生続くかも。
でも、分かることに意味があるのではなく、それを考えること、探すことに意味があるのだと思います。いや、実際「わかった!」と思いつつも、ちょっと時が流れたらまたわかんなくなったりするもんだし。全ての悟りは中間報告みたいなもんスよ。答に意味があるのではなく、過程に意味があるのだと思うよ、ほんとに。
そして、同じ考えるにしても、もうカンニングはしないとか、指示を求めないというヴァージョンアップはあるだろう。
また考えるにしても、そのための材料が少なすぎる、この世の快楽も生き方のパターンもストック経験値が少なすぎるから、まずは取材だ!という方向性もある。
そういうことをしにきたのではないかと。
シドニー戻ってからの短い期間でさえ、良きシェア先を体験し、職はゲットしても精神面含めたら赤字であるという事実も体験し、既に考えるための素材としては結構得てますよね。
だから何をやっても別にいいのですよ。自分なり動けば必ずなんらかのリターンはあるし。これまでがお手本どおりだったとしても、全ての芸術は模倣から始まるといいますから、それで全然問題ないです。バンドだって、最初はコピーから入りますから。それが一定レベルまでいったら、今度はオリジナルを作るという、「いよいよ」という段階に入ります。これがもう絶望的に難しいんだけど、死ぬほど楽しくもある。
そういえば、またラウンドを続けるという選択肢もあるよ。タスマニアが超楽しくて、燃え尽きた感じなんだけど、同じようにタスマニアで超絶充実して、「私のワーホリは終わった」と思って、惰性のようにメルボルンに流れて、燃えカスのように過ごしていたんだけど、その後、タスマニアと同じレベルのことがあと4-5回やってきたという人がいます。S.Naomiさん(体験談あります)。
多分鎌田さんとかなり似たパターンなので、「その後こうなる」という一つの示唆になると思いますよ。これはカンニングではないと思うしね。
彼女の体験談、いろいろ珠玉の言葉が多くて(彼女に限らず、それなりのことをしてきたら誰もが超名言を吐くよね)、「こうしようと思わなくなってからが本当に楽しくなった(理想に縛られるのはやめて、自然に世界を受け入れる)」「アンラッキー=アンハッピーではない」「出来事はただ起こるだけ。意味を与えるのは自分」などなど。読んでみるといいですよ。
というわけで、鎌田さん、おめでとうございます。いよいよこっからが本当に面白くなるというトバ口までやってきました。これまでとはケタ違いに深くて、広くて、楽しい世界が待ってます。嘘じゃないよ。