水貝くん、田口さん、小西くんとの夕べ

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いつの話じゃい?ってくらい旧聞に属するのですが、今更ながらUPします。「いつの話」かを正確に言えば2018年10月2日です。

この日、NZ修行を終えた水貝くんが遊びに来ることになってましたが、その直近あたりで連絡をしてた田口千夏さん、小西くんにも、よかったらおいでよと声をかけて。

田口さんは2年前にワーホリで来てて、1年日本、そしてまた観光ビザで復豪(そんな言葉ないけど)してて、ワーホリ時代に知り合った方の縁でパートナービザを申請しようかなという段階。
小西くんは、先日も紹介したばっかだけど、かなり初期の卒業生で、永住権とって現地のIT会社勤務7年、お子さんの学校の関係で地元名古屋にちょっと戻ろうかってステージにいます。
水貝くんは、数年前にAUSにワーホリで来て、ウーフの鬼と化して絨毯爆撃のように各地のウーフ先を経験、NZワーホリに渡り、さらにそこでローカルの会社で労働ビザをゲットして稼働、さて次は?という段階。

三者三様、それぞれのステージでそれぞれにやってるわけです。
田口さんと小西くんに声をかけたのは、この「それぞれ感」が面白いから。普通にしてたらちょっと接点がなさそうなくらい。それだけにお引き合わせする意味があるぞと。同じような立場で集めるのも(国際結婚系とか)、深くて濃くて面白いんだけど、全然人生のステージが違うって集まりも視野を広げるにはいいよ。ま、そんな深く考えたわけではないけど、全員知ってる僕から見てると取り合わせが、なんか新鮮で、面白そうって思ったのですね。違う漫画のキャラが別の漫画に登場するみたいな感じ。

APLaCも長いことやってるので、卒業生やエッセイファンだけでも幅広い分布が出来てて、それは空間的に地域的に世界各地に広がるし、時間的にもこれからオーストラリアに来るという人もいれば、20年前にオーストラリアを体験し、今もそこで得たサムシングを日々の生活に生かしている人もいるし、その日々の生活も、結婚、転職、起業、子育て、介護など多岐に渡るし、帰国時に十数人規模のオフをやると、ほんとタイムマシン状態でいろんな段階の人に会えるので面白いですよ。

これからオーストラリアの永住権をって考えている水貝くんからすれば、既に永住権とって稼働して、それで日本に戻る小西くんは、存在自体が「想定外」というか、3周回くらい先いっててよく分からん感じだろうけど、眼の前に現物がいたら、なにほどか思うこともあるでしょー。

さてさて、立場も視点も全然違う3人だから、さぞや話題に接点がなくて沈黙が支配して、、なんてことは全然なく、ごく自然に「あ、ども」でしんなり溶け込んでたのでした。僕という共通点があることもあるけど、それ以上にもっと大きな共通点があるからでしょう。

それは自分の人生を航行させているという「船長」同士であるという共通点です。
誰か or なにか(会社とか世間)に人生を委ねてない。「自分号」という船の舵輪はしっかり自分で握りしめてる。自分の決定、それに伴う結果やツケは、キッチリ全部自分で払うわって肚が座ってる部分。

そんなことは当たり前なんだけど、でも意外と世間では当たり前ではなかったりする。だって、自分と同じ立場の奴が周囲数メートルどころか、見渡す限りどこにもいない、だから誰にも相談できないし、誰も参考にならないという状況って、普通は心細いですよ。なんかものすごい間違ってるんじゃないか、もっと世間様に日和った方がいいんじゃないか?とか思うのが普通じゃないかなー。
それなのに、なぜか「え、そんなの当たり前でしょ?」って普通に思えるのが「ウチの連中」で、だから相互に親和性があるんでしょう。人生のステージはそれぞれ違っても、それはたまたま船の航路がインド洋だとか、大西洋だとかそれだけの差に過ぎないって感じじゃないかな。

田口さんは1年ぶりで、故郷輪島で(実家が輪島塗の卸をやってる)、外国人相手に輪島塗を活用したカフェをやるんだってのが、2年前にWHで来たときからの夢。帰国時の挨拶の回でも、存分に1年堪能し帰国(そのときもちょい恋話はしてたけど)。帰国して何してたの?っていえば、マジにカフェを追求し、どっかのカフェに勤めてバリスタとして修行してたそうです。

今回はパートナービザ申請なんだけど、周囲にあまりにも同じことをしている人がおらず、観光ビザの三ヶ月以内に申請できますかね?とか悠長なこといってるので、資料集めとか結構時間かかるぞ、国際結婚フォーラムとかあるから、聞いてみ、学校時代のカウンセラーだったカズミさんが今たまたまシドニーにいるから、連絡して聞いてみ、集まりにも顔をだしてリアルタイムの情報交換しなはれってことで。
そういえば国際結婚系の話もちらほら聞いてて、オージーの彼氏が出来てマンリーに引っ越すんだって人(名前出していいかと思うけど許可取り忘れたので)、またこの度おめでたが判明という方(これも同じく)、その縁で大きな家に引っ越すので、ここで小西君の家具問題とつながりが出来るという。

でも田口さんの話で、僕も「そーよねー!」ってオバちゃん会話のようにウンウン宇奈月温泉になってたのは(あ、「頷き」のシャレですよ、オバちゃんって自分で言って自分で頷いてるじゃん)、経営の難しさ。カフェ経営やジャパレス経営を間近に見てて、こんなに頑張ってるのに、こんなに客が入っているのに、それでもこんなにも利潤が少ないのかとショッキングなくらいで。そうなのよねー、僕の実家も昔とんかつ屋さんやってたときがあって(僕が小学生の頃だが)水商売のなんたるかはその頃生活感覚的にわかったけど、もうプライベートないよね。朝は早いし夜は遅いし。今のデリバリー仕事ですらも、毎日朝2時起きになると、もう夜の憩いは消滅し、ディナーパーティーや夜の飲み会はダメって話になって、人生変わるのよね。とかなんとかそのへんの仕事話が、永住権の話よりもメインに語られていたのでした。

さてメインゲストの水貝くんですが、なんでもオーストラリアでの永住権挑戦で、アデレードでやってみたいとのこと。そのあたりから、僕がネチネチとイジメてしまったんですよね。え、なんで?意味わかんない?みたいな(笑)。
いや、言わんとする理由はわかるのですよ、州政府系のビザとが取りやすいとか、知り合いのオージーがいるとか、そのへんのとっかかりがあるからって話なんだけど、でも、それだけ?って。
いや、なんかもっとガツン!とくるもの期待してたんだけど、それが感じられなくて。

永住権狙いに来る人、取れる人って、もっとなんか「魂の叫び」みたいなものを内面に抱えているように思います。最近のエッセイでいえば、「理屈じゃない狂気」です。それがあるから、それまで日本で営々と築き上げてきたものを全部犠牲にしてもいいと思える。はたからみたら、発狂同然、自殺行為に思えるようなことでも、本人にしてみたら、「魂の絶叫」があるからしょうがない。それがたとえ年収一千万以上、生涯年収損数億になろうとも、そーゆー問題じゃないんだって感じで来ますよね。
じゃあ、それはなんなの?というと口では言えない。言葉にならない。「や、空が青いからさあ」とか「はあ?」みたいな話になるんだけど、でもそれがリアルでしょ。

それを水貝くんの場合、ビザが取りやすいとか、知人がいるとか、それはそうなんだけど、核心ではないよね。なんかさー、アデレードにしても、飲みに行くときに「割引券あるから、あの店にしましょう」みたいな、そんな決め方な感じがしてさー、「おおおお!」ってのがないなって。逆に、水貝くんが、日本で年収2000万くらい稼げる仕事があってステイタスもあって、それを全部捨ててまでオーストラリアの永住権狙いに来るのかな?
結構、それを捨ててまでチャレンンジしてる奴が多いんだよ。てか難しい独立移住を取れるやつは、経済的にはダウングレードって場合が殆どじゃないかな。あのままロンドンでやってた方が絶対に金回りは良かった、だけどあそこの空が気に食わねえんだよ、だから来たんだって感じ。

たしかにオーストラリアの永住権は経済価値数億レベルでありますけど、そういう「得だから」ってレベルでやるのかな、それとも損得という次元ではなく「やりたいから」やるのかな。もし前者だったら結局取れなかった場合、丸損になりますからね。「結局は運だよ」って何度か言ったのはその理由もある。不確定要素が多いので、結果至上主義で考えるなら、そこはリスキーだよって。
でも、後者メインだったら、取れなくても「やった!」というだけで大きなカタルシスはあります。僕も永住権取れたときよりも、初日にシドニー空港に降り立ったときのほうが遥かに嬉しかったもんなー。司法試験の合格発表みたときくらい嬉しかったよ。「やったあ、来ちゃったぜい、ざまあみやがれってんだ」って(笑)。
でも、「やりたいことをやる」というのは、そのくらい圧倒的な快感があるのですよ。この快感があるからこそ、多少の苦闘も物の数ではない。また結果的に敗退であっても、それはそれで全然納得出来るのよね。だって甲子園にいけたんだから。そこで優勝を逃そうが、仮に一回戦で負けようが、行くところいって勝負かけてきたんだからそれは満足だよ。

逆に言えば、自分の人生で(死んでもいいから)「やりたいこと」があるやつは、もうそれだけで負けはないのよね。やればいいだけなんだから。やった瞬間に大勝利ですから。それがそこまでの強さで確信がないなら、それに比例して「結果」が大事になる。真反対に、全くやりたいとは思わないことでも、結果(お金とか)が保障されているならやろうかと思う(多くの仕事はこれ)。そのあたりのスケールの目盛りがどこを指してるのかなって。

んでも、「うおお」系の「やりたいこと」が分かる人って、別に哲学的に考え抜いてきた人とか、常日頃精神を練磨してる人とか、そんなことではないのよね。そんな別にエラそうな話ではないと思います。ただ、すごーく不愉快な日々が日常的に続いて続いて、「だ-!」ってなってるんだと思います。まず、「違う!」「こうじゃない!」って気持ちが強い。これはブラックだとか悲惨とかいうのとは又違って、別にそんなにひどいわけではないけど、「なんか違う!」、他人の洋服を間違って着てるみたいな違和感、数ミリレベルでの違和感だったりもします。ま、人によりけりだけど。

でも、その違う!感がまず強くて、それがパワーになる。でもって海外も移住も、一応の解決策ではあるんだけど、それは圧倒的なパワーの「出口」がそうだというだけです。
強烈なNO!がそこにあり、その対極に位置する強烈なYES!があるかのように思えるからそれを目標にしてる「だけ」のこと。「だけ」というのは、そんな深く検討してるわけでもないのだよね。「オーストラリアなんかいいんじゃないの?」くらいで、たまたま視察にいったら空が青くて、人々が陽気で、今まで欠乏してた分がバーンと感じられて、「これじゃあ!」とか思ったとか、そんなもんじゃないかな。で、それでいいんだよね。そういう感覚って大体当ってるから。

だから、あくまで不愉快先行というか、「俺の人生、こんなもんじゃない」って思いがまずあり、それが殆どを占めるような気がする。自分の人生を真剣に考える、俺はなにをしたいか考えるときって、基本アンハッピーなときですよ。それは見た目ハッピーでもしっくりこないってときも含むんだけど、要するに凄い違和感があるときです。そういうとき人は真剣に考えますから。転職や離婚を考え始めるときも真剣になるでしょ?

話戻って、水貝くんに「おおお!」そんなに感じなかったのは、彼がこれまでそんなに不愉快ではなかったことの裏返しだと思います。良いことではあるのだよ。そりゃそうだよね、AUSとNZの数年遊んで暴れて頑張ってたら、基本そんなに不愉快ではないでしょう。

だから、こういう人のパターンの場合、抜本的な人生変革というよりは、「もっと遊んでいたい」的な、この環境でもっと切磋琢磨したいってことなんでしょう。それは気持ちのいい修行欲求でもあるし、一歩間違えれば生ぬるいモラトリアムであるので、そこをアッパーにいくかダウナーにいくかは本人の器量でしょうね。

アドバイス的に言ったのは、永住権が取れる取れないというよりは、NZで働いていたときのようなインターナショナルな職場環境でこれからも働いていけるだけの自分、そういう実績、経験を積み上げていくことだと思います。それがオーストラリアで得られそうならそれもよし、それをオーストラリアで探したいならそれもよし、たけど別にオーストラリアに限る必要もないんじゃないのって気もしますね。そうやって海外経験値を高めることで、また新たな視界やチャンスもあろうし、その経験値はオーストラリアでの永住権審査でもプラスに働くでしょうし。
んでもって、どっかのプロセスで、「なんか違う」って思うときもあるかもしれず、そのときに何かが凝縮するかも。

 

何枚か写真を


ほんとはこれを扉写真にしようかと思ったんだけど、田口さんがなぜか猫背になってるように映って可哀想なので別のものにしました

男二人は車なので、酒なしということで、先日ヘジンさんと一緒にいった近所の餃子飯店へ

相変わらず温厚な小西氏
普通、これだけ離れた後輩が来たら、「俺の場合はさー」とか、エラそうに先輩風吹かせていんだけど、この人そういう気配は全然ないですね。人徳ですねー。

 

 

 

 

 

 

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