2022年夏帰省日記(12)8月31日 東京神田オフ

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話は前回の終わり、高橋さんのお家にお泊りして、奥様もご一緒に、夜中まで焼酎を頂いてなんだかんだ喋っていたというところの続きからです。

てか、もうちょい遡ろう。オフが終わった後、僕は高橋さんの車でご自宅まで行ったわけですが、懐かしいわ、古民家オフのときにも助手席に乗せていただいた車。高橋さん、慶応→公認会計士→公認会計士学校の二代目校長というのが、むしろ世を忍ぶ仮の姿ではないかってくらいクルマ好きで、鈴鹿までいって弟子入りしたり、改造費ン千万書けたりとかやってて、たどり着いたのがシンプルなジムニー。これで十分じゃないかという茶道のような境地に達したと、その昔語っていたのを覚えています。そのジムニーで、狭い路地をうねうねと進む。当然ギアはマニュアル。さすがハンドル捌きは堂に入ったもので危なげはないんだけど、乗ってて楽しい感はラリーみたいな。
でも、電車で行ったほうがずっと楽そうなんだけど(前は電車移動だった)、「コロナを言い訳にして」感染防止のために車通勤にしたんですよーと(笑)。そうだよね、コロナで多少はいい思いもせんと。

焼酎タイムが終わって墜落睡眠。”It’s been a hard day’s night. I should be sleeping like a log”と丸太のように寝ました(ちなみにこのビートルズのハード・デイズ・ナイトの歌詞、よく読むと、「かーちゃんのためなら、えんやこーら」と言ってるだけで、そこが面白い)。

朝起きて、昨晩高橋さんが言ってた「めだか」見学。最近なんかメダカブームらしく、一匹◯万円とか途方もないのもあるらしいけど、これは1匹10円のもの。それでも孵化して、稚魚は分離させてとかやっててなかなか見てて面白い。


野外に設置して、自然の雨水だけでいけるそう。産卵したら別に移して(ほっとくと稚魚を親が食べてしまうらしい)。稚魚用水槽↓

朝ごはんまでちゃっかりご馳走になってツーショットを。お子さんの習字を写しながら。

いつもいつもすいません。「居候三杯目にはそっと出し」と言いますが、堂々と出してる僕であった。
というわけで、今回も最初は宇賀神さん宅、終わりは高橋さん宅にお世話になり、職業別でいうと、医者で始まり公認会計士で終わるというゴージャスな。でも、そういうことじゃないんですよねー。言うまでもないけど。
僕らはみな宇賀神さんを敬愛してますけど、それは彼が医者だからではないです。宇賀神さんだからです。個性とお人柄に基づく。高橋さんもしかり。僕だって元弁護士ですからね。でもそういうことじゃない。

これは結構重要なポイントで、昔から言ってるけど、もしこのAPLaC界隈の横丁みたいなコミュニティが、世間的な記号に毒されてたら、こうは面白くならないです。また予算的にもこんな破格に済むはずがない。
個性と対等性以外なにもないというのは、無理めで過激な理念なようでいて、実は一番自然。だって小学校のときの教室がそれだったんだから、人間自然にしてればそうなる。ただくだらない世間的な記号を抜いているだけ。

これはセーフハウスとかいってる話にも通底して、もっと安くもっと幸福になれるはずという直感がある。世間記号がいかに馬鹿馬鹿しいかは、例えば僕が島根とかどっかにいったとき、田村「先生」がお越しになるとかいう話になって、地元側としても「失礼のないように」「恥をかいてはいけない」とかいって、高級ホテルかなんかに一泊3万くらいの宿をとり、夜のパーティも一人会費1万円とかやってたりするわけですよ、世間では。もてなしがショボいと地元の名折れだとか、沽券に関わるとか、記号が絡むとすぐにテーマが個人保身や見栄体裁になる。

バブルの頃、平成元年頃の一家四人の平均家計は月35万だけど、昭和30年代の暮らしを忠実に再現し、物価をスライドして平成に置き変えたら、月7万で済むというのを読んだことがあります(エッセイでも何回か書いたが)。バブルの頃でも7万で済む。絶対無理!とか思い込んでるだけ。だって昭和30年代はみんな着たきり雀で平気でツギとかアップリケとか当ててたもん。恥ずかしいとも思わなかった。7万で済むものを35万絶対必須と思ってしまうのは、ひとえ記号(世間)の力ですし、別に言い方をすると「見栄費用」。日本人の消費の殆どが実は見栄費用。見栄をはらなくていい外国はだから楽だったりするのだけど。

このオフの場が居心地いいのは、そういうくだらない世間力学から自由だからでしょ。収入があろうが、破産してようが、学歴がどうであろうがなんであろうが、誰も気にしてない。そういうことじゃないってのが自然と共有されているから、構えなくてもいい。ちゃんと自分を理解してもらえる、それを期待できる(背伸びした嘘をつかなくてもいい、見栄はらなくてもいい)場というのは値千金だし、単純に金銭換算しても億単位の資産価値はあると思います。だって、見栄張り競争になったらお金なんか幾らあっても足りないもん。

長くなったけど大事なことなので、ことあるごとに書きます。

さて、高橋宅をあとにして、御茶ノ水で二件個人相談をこなしたあと、神田駅で勝又さんと待ち合わせ。佳穂ちゃんも延長戦参加。神田オフの始まり。

合流後、勝又さんのオススメで、ちょい遠いけど「七条」という洋食屋さんに行きました。「これ600メールあるってGoogle様は言ってるけど」「え、調べたら250メートルでしたけど、あ、ほんとだ」。でも、カバン持ってもらいつつ、時間もあるし行きますかで、三人で既に残暑になった神田のビル街を。

全員、一番コスパの良さそうなエビフライとメンチカツ定食。1150円のものを。

いや、美味しかったですよー。エビフライのエビはかなり大きく、かつプリプリしてるし、メンチカツの挽き肉もいいものを使ってるし(そんな気がしたという程度で自信はないが)。ダメなところだと、鉛筆のようなスリムな海老に厚化粧コロモだったり、ミンチ肉が肉の味がしなかったりするんだけど、ここのはちゃんとしてた。見たこともないブランドの瓶入ソースがまた美味しかった(写真取ればよかったぜ)。

このあたりで野澤さんと森さんから連絡があり、所沢から森さんが参加するのに野澤さんも合流するとか。

次はまた勝又さんオススメの神田竹むらへ。昔ながらの甘味処です。
これまた結構距離があるんだけど、まあいいかでトコトコと歩く。そのうち彼らとも合流できるでしょうと。
勝又さんが持ってくれているのが僕のスーツケース。

神田の町をしみじみ歩く経験って実はなかったので、面白かったですね。本屋街とか、御茶ノ水の楽器屋とか、秋葉原とか足繁く通ったけど、このあたりは大人な感じで中高生レベル(僕が東京に居た頃)では用がなかったし。

戦災焼け残りの昔の家屋もあるし、昭和のままフリーズしてるところもあるし、最近ぽい駅前の光景もあるし、もちろんピカピカビルもあるし、なに、このタイムマシンがぶっ壊れて時系列がめちゃくちゃになってゴッタ煮になってる所は?って。

この角地、バブルの頃の地上げでは激しい攻勢を受けてたと思われるのだが死守したんだろうなー。
駅前は打って変わってこんな感じ

竹むらに到着。ほー、なるほど、これも一種の古民家であり、京都でいえば町家ですね。よく残ってるわー。写真でみると、これ何階建てなのかわからん感じは、金閣寺みたい。

中も昔の造作のままで、今の日本人の体型からしたら寸足らずのところも本物ぽいです。昔はこれで良かったんだろうなー。

ちょろちょろ歩いてて思ったのだが、意外と高級料亭らしきものもちらほらあるし、これってちょっと大阪の西天満の弁護士村の梅ヶ枝町とかそのあたりに似てる。見た目、ごちゃごちゃした路地の下町なんだけど、よくみると料亭とかがちらほらある。

店に入るところで、多忙すぎる佳穂さんは出国準備戦場に戻る。

何を食べるべきかと目移りしまくりなんだけど、ここは一番、「勝又絶対の法則」で、勝又さんオススメには盲従し、揚げ饅頭を。
ちょいぶれたけど、なんだっけクリーム白玉あんみつだっけ?

汗かきながら、森さん登場。参加したかったら仮病を使ってでもやればー、コロナ時期だしやりやすいよ、もうちょいワルになると人生楽よとか昨晩唆していたのだが(教唆犯の成立)、根が正直な彼は、仮病を言ったたとん「本当のことを言ってごらん」と見抜かれて、即落ち。でも許されて参加。らしいなー。

彼は氷あずきを。皆でちょろっとシェアしたけど、なるほどアンコが美味しいですね。オーストラリアでも小豆は売ってて、自分でもアンコを作ることがあるからわかるんですけど、粒が小さいからイマイチ美味しくないのよね。小豆の皮に比して中の白い身の部分が少ないので、モチモチ感が出ない。日本の甘味アンコは、特に粒が大きい大納言など典型的ですけど、そこが違うんじゃないかと。

神奈川から参加の野澤さんはまだこない。ここまで歩かせるのもナンだし、駅に戻る。連絡係りの森さんの話だと、もうそこまで来てるらしい。

とりあえず分かりやすいところに入ろうで、駅前正面のここへ。

実は午前の相談の時、同じ系列の店に入ったのですね。またかって感じだけど、この際なんでもいいし。

「野澤さん、秋葉原まで来てるそうです」「走れ!って伝えて」「伝えました」と言ったら、本当に走ってきた野澤さん。
やれやれやっと合流するも、もう行かなきゃ時間になるという。

森・野澤両名は羽田までついてくると。勝又先生は渋谷経由でお帰りなので、浜松町まで一緒に帰ることに。
神田駅のホームで、ラストショット。

いやーただ神田の街をうろうろして、食べ歩いてただけだけど、面白かったです。一人で歩いてても、こうは面白くならないしね。

羽田空港、まだガラガラです。

ガラガラすぎて、3人で腰を落ち着ける店も開いてない。

ということで僕は出国ゲートに入ります。どうせこのあと二人で飲むんでしょ?早く行った方がいいかもって。
ということで、ここでお別れ。

その後、まだ空港内で待ってるときに森さんから送られてきた写真。いいなー楽しそうだなー。でも男前ジョッキってなによ?

一方、シャッター街と化している羽田空港

明かりがついているのが営業中店舗。ほとんど閉鎖。緑のサービスブースはがんばってるようだけど、これ、海外保険の自動販売機が置いてあるだけです。

定刻を20分遅れて出発。行きほどガラ空きではなく、ほどほどに混んでるけど、真ん中の4席の島はだいたい一人くらいで、のんびり寝そべって帰りました。行きも帰りもこんな楽なのは初めてですね。見えてる後頭部の大部分はオージーだった。寸暇を惜しんで海外旅行で遊ぶ人々。もう国境フリーだしね。

もうすぐ着陸のころ、よくよく見ると、これ間違ってないか?現地時間が2時間以上進んでるぞ。今時点で7時28分のところに、1時間後に着くなら、到着予定時刻は8時28分だろう。でも予定時刻は6時17分(これは合ってる)。どっから引っ張ってきた現地時間やねん?

シドニー空港入国の状況は、掲示板で書いたように(てか後からさがすの大変なのでまた書いておこうか)、先に小さな機械でパスポートをスキャンしてe-ticketを発行させてゲット。次の列で機械でe-ticketを機械に挿入して、顔認証やってという二段階システムになってました。出国のときは一発で出来たと思うけど(パスポート読み込ませて、顔認証してを同一機会にやる)、入国は、検疫の質問にYES/NOを答えさせる手間があるから、二段階になってるのかもしれない。日本のパスポートを入れると、画面が日本語になるので楽。結核はどうか、過去一週間にインドネシアに行ったかとか、4-5問。前のオージーは2問くらいしかなかったようで、パスポートによって質問が変わるっぽい。「e-ticketを持ってる人は~」とか言うんだけど、何がe-ticketなのか分からん。もし持ってたら(紺色の長方形、やや細長く、書物の栞のような感じのもの)最初の段階は素通りできるのだけどうけど、持ってなかったら(どうやったら事前に持てるのかがわからんが=パックツアーとか集団処理などあるのかもしれない)、二段階でやる。このあたり英語でも説明がろくすっぽないので不親切。最初から知っておいたほうが良いかと。

最後の税関(と検疫)のところは長蛇の列でした。結構真面目にやってて、二人に一人くらいは荷物開けられてた感じ。面倒くさいなーとか思ったけど、幸い僕はフリーパスだった。英語がわからないふりをするのがいいです(笑)。本格的に回復したら人数多すぎで真面目に審査とかやってらんないので、ほとんどフリーパスになるんじゃないかと思われるのですが、今はまだその程度の回復具合。

それでもそこそこ空港内は混んでます。上の写真はゲートを出てきてから。2月の解禁時点に行ったときは、もっとガラガラでした。平常時はもう朝の電車のホームみたいになるけど。
空港から電車でセントラル駅へ。おー、帰ってきたー(日本に行っても帰ってきたーと思うんだけど)
おなじみのバス停で
ちなみに、空港から電車バスを乗り継ぎと22ドルくらいだったかな(空港アクセス料がぼったくりなので)。行きしなのときはGlebeの家の前からUberでいって27ドルだったから、公的機関の意味ないじゃんって。

以上で終わりなのだが、オーストラリア現地の風景を比較のために。
久しぶりのカミさんとランチ。この日はMosmanまでいって、Cafe Mosman(お気に入りの店で美味いです)。
今日のメニューから、ゴラーシュ(牛肉のスープ)。店によって違うが、これはほとんどシチューな感じで、でっかいごろごろ肉を見ると、帰ってきた感。

デザートのプディング(アイスクリーム付き)。コーヒーカップと比較してみるとわかるがかなり巨大。二人でシェアして満足なくらい。これも帰ってきた感。
裏手の無料駐車場

以上、盛りだくさんの夏休みでありました。
日本もオーストラリアも面白いし、いくらでも楽しくできるんだけど、コロナで丸2年国境封鎖でそれも出来ず。2年分返せっていいたいところだが、それまでずっと毎年やってた帰国オフが、火が消えたようになってたので、今回は再度着火に帰ったという感じです。

封鎖期間の間に、おふくろの認知症が進んで、僕を認識できなくなってたらどうしょうと思ったけど、それは辛うじてOKでした。もうイライラしまくってたし。でも、次はどうかな?と思うので、もっとコマメに帰る予定です。歯医者もやり残してるし、空き家実家での生活体制も整ったし。
また遊んでくださいねー。

 

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