2023年初夏の日本帰省記(13) 私的ノート(1) 京都らしい風景

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帰省記も12までは皆と過ごしたオフがメインですが、以後、オフ以外の私的な雑感をいくつか。

路地裏の祠(ほこら)
今回は(ほぼ空き家化している)実家にとどまっていて、いわゆる京都らしいところには行ってないです。もっぱら地元のスーパー、母親のいる施設、そして歯医者を巡回するくらい。実家は京都駅の南側、昔ながらの呼び方でいえば「十条西洞院上ル」あたり、近鉄 or 地下鉄十条駅の近く、九条車庫バス停の近くですが、京都駅よりも北に行ったのはあまりありませんでした。せいぜい京都オフで京都駅の北部を徘徊し、あとは手巻きタバコを買いに(前回「京都で手巻きタバコを探す話」で紹介した)気谷商店に2回赴いたくらいです。

しかし、そうはいってもそこは京都で、地味ながら「らしい」風景はありました。

タバコを買いに行く途中(弟から借りた原チャで)、ふと見つけた地元の小さな公園。

東本願寺の渉成園(行ったことはないけど)の裏手にある、稚松公園(”わかまつ”と読むらしい)にあった祠(ほこら)がそうです。
正確な場所は、Google Map/Viewで示すとhttps://goo.gl/maps/ZJoyk87EAfRLe5Nq9になります。

まず、くっそ狭い路地が「京都」ですよね。日本の道は大概狭いのですが(鶯谷も狭かったよ)京都はまた格別。
またやたら一方通行が多い。路地裏はほとんどそうじゃないかってくらい多い。なのでルートがパズル化する。僕も学生時代は原チャで京都を乗り回してたのでだんだん思い出してきました。実家のマンションのあるところも、あと数メールというところで左折ができない。またぐるっと数百メートル回ってくるしかない。そこでエンジン切って、バイクを押して数メートル歩くという技を使ってたのを思い出しました(道交法上「歩行者」になる。一応根拠条文を示すと道路交通法2条3項2号)。

タバコ買いに行くのも、大通りをしゃーっと進んで、キュッと曲がればいいんだけど、急ぐこともないし、路地裏通り抜けで行きました。すぐに「あ、右折出来ない」「左折ダメ」で迷宮化した挙げ句、この公園に出くわしました。いい感じだったので、バイクを止めて写真を撮ったものです。

まず京都地元のコミュニティ感覚、リアルな生活感覚を知りたくて。
最近の日本はどうなの?と思ったんだけど、昔ながらの児童公園風でちょい安心しました。安心というのは、漫画「ファブル」に載ってたように、遊戯道具の下に安全マットを敷きましょうとか過保護なパターナリズムが無かったという点です。

ま、単に行政の予算が足りないだけかもしれないけど(ちなみに京都市の財政破綻については「京都市「財政危機」キャンペーンは何だったのか■わずか2年で「財政破綻しません」 市民負担増強行へ“過剰な演出”」という論稿がありました)。

フェンスで囲まれた市民園芸所、、なんだろうけど、上に鉄条網がガンガン貼ってあって捕虜収容所みたいな。なんなの?シドニーにもこういうところはあるけど(Kirribilliとか)フリーに歩けるけどな。

この種の掲示板が面白かったりしますね。

で、「元気なあいさつ~」という標語(誰の予算で、誰がどう決めてどう作ったのか興味ありますね)の隣に祠があった。周囲もしっかりガードされて。

ほお、と思ったのは屋根です。見事な苔がついていて、さすが京都、的な。 ほお、まるで苔寺のような。まあ、こりゃ、苔をこそぎ取って自分の庭に移そうという馬鹿も出てくるかもしれません。
今調べたら、庭園用の苔って売ってるんですね。こことか。そこそこのお値段はする。こういう枯れた感じの苔は安いのか、それとも高いのか、よくわかりませんが。

この手の小さな建造物を、一般に祠(ほこら)とか言うのですが、道祖神やお地蔵様のような土着の民衆信仰というのは興味深い。宗教もデカくなると、エリートさんの神学論争や内部の権力闘争、あるいは政治権力と結託するのはどこも同じなんですけど、そういうレベルではない、素朴な民間信仰というのが宗教の最も本質的な形のように思うからです。祠はもともとは古神道由来らしいのですけど、日本の場合、おなじみの神仏習合(神道と仏教のコラボというか、ごっちゃ煮になること)で地蔵菩薩とか出てきて、この祠にも「卍」という仏教でいう「吉祥」(幸福)を意味するマークがあります(上の一枚目の写真参照)。

昔から不思議だったのが、なんでお寺の卍とナチスが似てるのか?です。ナチスのハーケンクロイツ(英語でいうとスワスティカ)は、鏡対称で斜めに傾いているのでちょっと違うんだけど、でも基本は同じですよね。卍でも右卍と左卍があるらしいし。この機会に調べてみたら、もともとはサンスクリット語(梵字)、てかさらに古く仏教やヒンドゥー教、ひいては西洋でも「幸運」を意味する図形らしい。まあ、普遍的な図形だから誰が使ってても不思議ではないですよね。ナチスが使ったのも、彼らが理論武装する元になったインド・ヨーロッパ語族のアーリア人学説からきてるらしいから根っこは同じといってもいいし、実際にもこの図案は歴史上多くの国の軍隊で使われていた。それが第二次大戦後の「ナチス=絶対悪」という西欧独特のヒステリックな教条主義でよく見えなくなってるような気もしますね。世界的に使用を自粛とかやられてきたし。日本でも外国人用の地図には卍(寺社)をやめて他のマークにしようという動きがあったらしいですけど、幸いなことに(神経過敏すぎると思うので)卍は存続しています。

あー、すまん、「京都らしい」から脱線しました。
でも、僕も通りすがりの時点、写真撮ってる時点ではここまで考えてなかったけど、撮った写真をもとにあれこれ書いてると、いろいろ広がってきて面白いもんです。

比叡山と愛宕山
東京の道はわかりにくいのだけど、京都は異様にわかりやすい。大学から京都にいるのだけど、最初はそのわかりやすさに感動したもんです。「碁盤の目」と言われるように市街地はほとんどが直線であり、交差道路は本当に直角。通りの名前もきちんとついてるし、おまけに覚えるための歌まである(「まるたけえびす・におしおいけ、あねさんろっかく・たこにしき、しあやぶったか・まつまんごじょう」ってやつ、縦の筋もあるんだけど忘れた)。大阪も京都ほどではないけど、縦(南北)の道路は「筋」と呼び(御堂筋、堺筋、松屋町筋、谷町筋など)、横(東西)は「通り」という(土佐堀通、本町通、宗右衛門町通、千日前通など)、基本原則がある。
でも東京は大通りは放射道路と環状道路がメインでまっすぐ進んでるつもりがどんどん方角がズレていく(北進するつもりがいつのまにか西進していく)から方向感覚が馬鹿になる)、小さな道路は戦災焼け残りと戦後急速成長とでぐちゃぐちゃ。

もともと東京の道のわかりにくさは、軍事防衛用(敵が攻めてきてもまっすぐ城まで来れないようにする)だといい、徳川家康がそうしたとか、いやその前に太田道灌がやったとか、いやもっと前の北条五代(鎌倉期の北条ではなく、戦国期の後北条)だとか諸説ある。ま、でも軍事目的はわかる。薩摩もそうしたとかいう話も聞いた覚えがある。
じゃあなんで京都はそうしなかったか?といえばお手本の中国がそうだったからだけど、中国都市は周囲に高い城壁がある。城壁がない日本でわかりやすい都市をなぜ作ったかといえば?わからんけど、平安時代の防衛思想は、仮想敵が人間の軍隊ではなく、鬼神とか百鬼夜行や怨霊だったからなのかもしれません。

京都のわかりやすさに話を戻すと、道のわかりやすさの他に、周囲の山の形で方角が一目瞭然にわかるという点があります。これは日本全国多くの地方都市でもそうですね。岐阜なんかも金華山と長良川を抑えておけば大体わかったもん。
京都の場合は、北東(鬼門)の方角に比叡山があり、反対側にひときわ高い愛宕(あたご)山があり、これさえ覚えておけば大体のところはわかった。大文字山なんか字が書いてあるからもっと親切。

ということで、この写真。実家のあるマンションの最上階まで登って撮ったものです。画像中央にあるのが京都タワー。その右手、ひときわ高い山が比叡山です。
比叡山はわりと独立してぼこっとあるので、形さえ覚えたら、どこにいても見つけられるし、方角の見当がつくので便利です。
この反対側は、桂川の方角で朧満月がゆっくろ沈んでいくところ。
スマホ写真なので、ろくすっぽズームも出来ず(してもブレるし)こんなもんで。

近鉄十条駅は眺めが良いので好きです。ウチからは近鉄十条(500米)、地下鉄十条駅(550米)と2つあるのですが、距離的には似たようなものでも、眺望が違うので近鉄のほうが好きですね。安いし(本数は少ないが)。
まず東寺の五重塔。これを見ないと帰ってきた気がせんよね。

その左横あたりに愛宕山が見えるのです。

このボコッと頂上だけ突き出ているのが愛宕山。
火の用心で有名な愛宕神社(古い民家には御札が貼ってあったり)。近くに神護寺や高雄山など紅葉の名所があるので、シーズンは人混みで大変なことになる。比叡山と並んで愛宕山は京都の信仰の双璧。

これが方角的にも意味があるのは知られてますが、漫画の陰陽師でも語られてます。

 

ということで、ちょびっと「京都らしく」なったでしょうか。
京都はやたら歴史が古いから、ちょい掘ると幾らでもでてくる。

昔何度かエッセイで書いたけど、大学の研究室にいるとき、レクレーションで愛宕山登山を挙行し、運動不足の先輩らを使嗾(しそう、そそのかすこと)して頂上で缶けり大会をやって盛り上がりました。楽しかったわー。足が吊った先輩が数名いたなー。でも、かーなり登山はきついですよ。

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