帰省記(14)より承前
十分寝足りて下に降りていくと、早朝からスタンバっている宇賀神さんご夫妻。
改めてみるとこの窓外の庭の眺めがいいですねー。
毎日これを見ながら、ゴハン食べたり、パソコンやったり出来るのだから贅沢な環境。僕も、Lane Cove時代、あるいはその前(Newtown時代)、一瞬庭いじりをしたことがあるけど、場所が悪くていちいちサンダルつっかけて見に行かねばならず、だんだん面倒くさくなり、興味も薄まり、、。やっぱ日常の定位置から常に鑑賞できるってのが大事だなーと思ったです。
朝は朝でドーンと。
撮ったと思ったら次々に追加されていくのでキリがない感じ
みっちゃんパンナコッタと、今日はめちゃ巨大なブルーベリー。こんなデカいの見たことない。味も甘くて美味しい。
コーヒーカップは益子(ましこ)焼。一瞬島根かなと思ったら、地元栃木の焼き物でした。島根と勘違いしたのは益田市の「益」という字に引っ張られて。昆布茶。甘かったのが良かった。この器もさぞ名のある、、と話したのだけど、どこのか記憶が曖昧です。この日の午後、宇賀神さんがいっときハマっていたという陶器を見せてもらいました。
さて現地でお昼を予約しましたってことで、時間を逆算して、そろそろ出発。
運転は宇賀神さんだけど、車はみっちゃんのもの。宇賀神さんの車は「私と犬用なんです」と。どちらも車種は同じで、HONDAのFitで、オーストラリアではJAZZ。僕のUber用の車と同じ。ちなみに、山口さんも同じじゃなかったかな。弟も同じ車にしていた。なんか周囲が全員同じ車で笑った。でもこれ小さいくせに車内広いから使い勝手がいいのですよね。
国道沿いの田園風景。昔だったらただの田舎の風景だけど、田尻くんに話を聞かせてもらっていると、もう職人芸の「作品」って気がする。はーこれだけの広さを見事なもんだねーって。お前やってみ?と言われたら死ぬし。
車は北上しつつ、宇都宮周回道路。前方に山が見えてきて、盛り上がるわー。
標識にも「日光」の文字が見えてくる。
この山肌から蒸気が立ち上ってくる感じが、墨絵風というか、「深山幽谷」ぽくて良かったです。
山中ドライブになって、日光に着きます。
携帯で地図を見てて、高速降りたら、カクカクとクランク曲がりをしなきゃいけないのだけど、宇賀神さんはナビも見ずに正確に運転。
それもそのはずで、宇賀神さん、このあたりの企業の施設病院に1年ほど院長をやってたことがあるそうです。なので、日光というと、「ああ、久しぶりに行くのもいいな」って感じだったそうです。
もともとなんで日光?というと、今年ではなく去年の帰省オフの掲示板に、日光あたりに泊まって皆でやるのもいいねと書いたのですよ。そのときは遠いのかレスが絶無が立ち消えになったのですけど、宇賀神さんが覚えておられて、「日光、いいね」と。事前のメールのやりとりでも、日光でも行きましょうとお誘いくださって。
なるほど言ってみるものよねー。どこでどうつながるか分からない。
いつぞやのエッセイでも書いたけど、願望実現講座で、欲しいものがあったら、とりあえず言ってみる、誰に対してというのではなく、広く世間に叫んでみる。「仕事ほしいよー」でも、「◯◯(車でも彼女でも)がほしいな」でもなんでもいいけど、とにかく表明する。最初は星に願いをかけるような、砂漠に水を振りまくような虚しいイトナミに感じられるけど、言い続けていればどっかで誰かが見てる、聞いてる。後日になって「そういえば」「◯◯欲しいって言ってなかったっけ?」と繋がる。だからとにかく言え。「胸に秘めたる思い」とかカッコつけてないで、声高に言え。選挙カーのように言え。オーストラリアで仕事探しなんかでも、まさに同じで、誰彼ともなく仕事仕事、I need jobって言っていると誰かがつないでくれるかもしれない。てか、そのパターンがすごく多いんですよね。
さて、すぐに日光の観光街のような一角に。短いんですけど。
左に見えるのが神橋だっけ?
ほどなくして東照宮入口。これ、あとでわかったんだけど、メインの玄関(山門)と駐車場はもっと先で、ここはやや手前。でもこう書かれると入っちゃうよね。
車を停めてここからは徒歩。そこらへんの人たちは全員外国人(アジア系だけど、国が見当つかない感じ)。
こっちですよと我が庭のように案内する宇賀神さん。
ここは、武道場のようで大会などが行われ、かつてお知り合いのドイツ人(だっけ?)が参加されたときにこの場所を知ったとのこと。
ここからさらに進むと、本体の東照宮になります。
長い参道を横入りするように出てきたわけですね。まあ距離が短くなって楽ではあるのですが。
いやしかし、この厳かな雰囲気がいいですねー。
ひんやりした山の空気と巨木の質感やら
やたら風格ありすぎる石灯籠の苔や羊歯(しだ)。ちょい色が飛んでしまったけど。
いやーいいなー、なんか懐かしいなー、そんなに知らないはずなんだけど、懐かしいな。比叡山延暦寺や高野山もこんな感じで、寺社そのものよりも外部環境(山奥)との一体感がいい。
日本には(世界でも)昔から山岳信仰というのあって、多分、僕が思うに、神道や仏教なんかよりもケタ違いに古いんじゃないか。日本の縄文時代は1万8000年(数え方は諸説あるが)、僕らが知ってる「日本史」はたかだか1800年程度で、10倍違う。文字が無かったから細かく伝わってないだけで、僕らは本当の日本史の10分の1しか知らない。
日本の山岳信仰系のキャラである「山伏」「修験者」「役小角」など、神道仏教の教義体系とは違う気がする。日本に限らず、自然度100%の古代の暮らしをしてれば、自然=神になって当然だろうし、親や祖先の霊は再び山(自然)に還り、「草葉の陰」にいるという発想も自然な気がする。でもそんなのお釈迦さんは言ってないし(輪廻するんだし)、改編しすぎてほとんどオリジナルみたいになった日本仏教でも死んだら阿弥陀如来が迎えにきて極楽浄土に行くことになってたり、「草葉の陰」ではない。草葉系=原始宗教的アミニズムは大宗教の教義理屈に合わないんだけど、でも感性と身体には馴染むのですよね。「いいなー」という感覚は(あるいはパワースポットなどの表現で感じるのは)、そういうこと(語られないが身体で知っている民族のルーツ)かもね。
とまあ、浸っていたのはここまでで、いきなり小学生の修学旅行軍団にぶち当たることになりました。
ここから先は子供たちで芋の子を洗うような賑い。深遠な山岳系~もクソもなくなっちゃいました(笑)
「6月は修学旅行が多いですからねー」と行く前に言っていたら、本当にそうなった。6月云々は京都で学生時代にチャリや原付きを乗り回してた僕の実感です。暇な時期だから修学旅行になる比率が高い。でも、小学6年のときに僕もこの一員として日光まで修学旅行に行ったんですよね。その記憶がもとで、日光久しぶりに~という気分になった。
こんな年端もいかない子供に社寺仏閣を見せて分かるのか?意味あるのか?という当然の疑問もあるのだけど、少なくとも僕に関しては意味ありました。だって子ども心に陽明門はすごいと思ったし、なんとなく雰囲気の良さは覚えてましたし、それが今回行こうと思った動機になったし、また着いたときの懐かしい感じの一因にはなってると思うですよ。瓦屋根の古い日本家屋を見て「懐かしい」と感じるのを、日本の原風景や日本人の心というなら、子供の頃に見せておかないと、そうはならないように思いますよ。
有名な三猿の前でツーショット。子供だらけで近寄れないという(笑)。
この三猿が突出して有名で、まるでこれだけ独立して存在してるように錯覚するのですが、、、
見ておわかりのように一連の絵巻の一部としてあるだけです。一番左の猿なんか、「見ざる」どころか、めちゃガン見してますもんね。
ところでシドニーにも三猿はあって(シティのThree Monkeysというパブの入口に大きな像が飾ってある)、僕も最初、え、なんで?と思った。「見ざる=見猿」というダジャレみたいなコピーが秀逸すぎて、てっきり日本独自のものだと思ってましたから。調べてみると、古代から世界各地にあって(古代エジプトとか)、それがシルクロードを通じて世界に広まったようです(アンコールワットにもある)。そいえば「四猿」というのもあるらしく、何が増えているのかというと「せざる」というのが増えてるらしい。
見ざる言わざる聞かざるって、まるで「日本国民」ですよねーとか冗談言ってたんだけど、でもこれ情報統制の原型ですよね。宗教的には「悪しき言葉を聞かない(悪の誘惑に乗らない)」とかもっともらしい解説がなされてるんだけど、ナマい話でいえば、(王様に)都合の悪いことは(民衆に)知らないでいてほしいってことでもあるなーと(言いふらす奴は死刑)。そうかー古代エジプトの頃から、その種のプロパンガンダや情報統制はあったのねーって、そりゃあるよね。知られちゃやばいことやってるんだもんね。
歩を進めると最大のヤマ場の陽明門。
なんといってもこのゴテゴテ感がすごい。
美しいのだけど、それよりも、こんだけ作るのに一体どれだけの労力が?という労働集約の極致みたいなものに圧倒されます。小学生の頃も同じように思った記憶がある。こんなのアリかよって。
改めて見ると木材を緻密に組み合わせる複雑極まりない設計をよくやったなと思うし、何百年もの時に耐えさせるようにそれぞれの木々の反り返りも計算しつくしているんだろうなと思うし、気が遠くなる思いです。
これを見たら、押井守のアニメを思い出した。攻殻機動隊2のイノセンスの異郷での祭りのシーンで、その偏執的なまでの緻密さに圧倒されましたけど、それと同種の感動があります。
日本文化の精髄である「侘び寂び」とかいいますが、これはその対極にありますよね。ド派手で絢爛豪華。
それに芸が細かくて、組み木の下の方と白い獅子群像の間に、こんな人物像がずらっと並んでいるのですよ。なんの故事なのか調べてないけど。衣装からいって中国の人物故事だと思うけど。
透し彫りやレリーフが好きなようで、横の壁にも一面こればっか
なにげに地味な一角にも浮き彫りにされている。
この時点でかなりお腹いっぱいになってるのですが、ここから有名な「眠り猫」
事前告知の札(この先に眠り猫があります)。
でもこれ、告知しておかないと見過ごすよな。中央上部の欄間にあるのだけど、わからんぞ。
拡大すると確かにいる。
見たら「ふーん」以上でも以下でもない猫なんだけど、思ったのはマーケティング戦略ですね。なぜこんな平凡な猫像が、ここまで超有名なスターになったのか?です。この広報戦略がすごい。平凡な地味子がアイドルになるような感じ。
だって、下の獅子像の方がすごいじゃないですか。ウルトラマンの怪獣のような迫力あります。金ピカだし、たて髪が緑というのもユニークだし。だけどこれはほとんど名前も覚えてもらってない地味な扱い。
本当は眠り猫のあとに、鳴き龍を見た(聴いた)のですけど、撮影禁止なので写真はありません。鳴龍は日本全国にあり、京都にもありますが(長田オフでその話題になったな)、僕の記憶に残ってるのは間隔をあけた一回エコーのパターンで、ワンテンポ遅れてシャンと鳴るやつ。でも東照宮の鳴龍はリンリンリンと尾を引くもので、なんと言ってたかな「すず龍」だっけな、ちょっと違う。
説明してくれている(小学生団体と一緒に聞いてた)お兄さんがまた立板に水で淀み無く喋り、「今日は雨なのでいつもよりも良く鳴ります」とかくすぐりを入れるのも上手(今日はいつもより多く廻してますの染の助みたい)だし、後半はほとんど営業(いかにお守りの霊験があるか)。
ちなみに、そこは東照宮本地堂なのだが、同時に輪王寺薬師堂でもあり(名称が違う)、もう神社だか寺だかわからん神仏習合。
しかし、さして広くもない敷地によくぞこれだけ詰め込んだと感心しました。
陽明門の隣の鐘楼だか鼓楼だか、マイナーな建物なんだけどコテコテ感は十分。
総じて金箔の使い方が上手い。ピカピカすぎると下品な感じもするんだけど、いい具合にくすんでいて、「ゴージャスだけど渋い」という相反する要素を両取りしてる感じ。
これら手が込んだ建築物が狭いエリアに密集してるので、満腹感があります。
これに加えて、猿はいるわ(三猿)、猫はいるわ(眠り猫)、龍はいるわ(鳴龍)、その他獅子はいたるところにいるわ、もうコテコテのサービス精神です。
ほかにもやたら登場する石灯籠。いずれも風格があって良い。
小さな五重塔もある。もしこれしかなかったら、ここが黒山の人だかりになってるだろうけど、お腹いっぱいなので、誰も注目しない。
帰路。
途中にこんなものがあった。 ガチャガチャでおみくじ、、うーん、理屈は同じなんだろうけど、なんか有難味がないような気もする。売れてるんだろうか?
日光は有名なんだけど、歴史的な建造物の見どころといえばこの東照宮くらいです。しかし、それでもう十分です。これでまた似たような名所旧跡の建物があったとしても、もうええわって思うんじゃないかなー。
あとは山の奥をドライブして、いろは坂やら、中禅寺湖やら、華厳の滝やらがあります。今回は雨も降ってるし、歩くのもしんどいしで無し。
華厳の滝といえば、小学校の修学旅行のときは、華厳の滝で誰かが撮った写真が心霊写真になってるとかなってないとか騒いでました。いわゆる心霊写真が流行りはじめの頃だったのかなー。多分今見たらどってことない写真なんでしょうけど、当時はなんとしても心霊写真であってほしい!という皆の思いが高まって、無理やり心霊写真にしてたような気がしますね。子供心にも、その無理矢理感は覚えてます。あれはどういう心理なのかな。「怖いもの見たさ」というか、穿って言えば、つまらない日常に、非日常の風穴を開けたいって思いなのかなー。
さて、日光行はこのあと金谷ホテルでの素敵なランチがあるのですが、長くなったのでここで切ります。