笹川枝里子さんのWH体験&後日談(2)~バイロン・ベイから上越へ

はからずも、商業主義的なバイロンベイと、素朴なコミュニティ感覚の両方を体験したことが、地元の素朴な良さを伝えていこうというインバウンド起業のコンセプトになって育っていった

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笹川枝里子さんのWH体験&後日談(1)

の続編です。
以下、僕と笹川さんの質疑応答編になります。

田村質問部分:
バイロンベイの体験が輝いているのですが、僕が思うに(稲垣さんとも話てたんだけど)

バイロンベイには2つあって、
A:本家の昔ながらのよきバイロンベイ
B:そうではなく、観光名所になってしまったので、商業的なチャラい部分が出てきてしまってるバイロンベイ

つまりバイロンベイだから全て良い、行けば全て解決ってもんじゃなくて、そこはクレバーな取捨選択がいるんじゃないかって思うのです。ちょうど、日本の湘南に似てるような気もしますな。観光地なんてどこもそんなもんなんでしょうけど。

そのあたり笹川さんはどう感じましたか?
いや、バイロンだったら全部いいですよーって感じなのか、やっぱ商業的な部分もあって、そこらへんは自分で判断するしかないなーとか、いろいろあると思うのですが。

笹川回答部分
そうですね、私もバイロンベイには2つある感じがしました。
バイロンベイ中心地の観光地的な部分(観光客や語学学校の生徒たちで毎日賑わっている)と、中心から離れた場所にある手つかずの自然だったりオーガニックファームだったり、自然の中のゆったりのんびりした部分(中心地にものんびりした雰囲気はありますが、、)と。

質問の答えとずれるかもしれませんが、バイロンベイにある語学学校が学校という枠を超えバイロンの観光産業に貢献している感じがしました。

バイロンベイには語学学校が2つあって、その一つが(バイロンベイの繁華街から徒歩圏内にある)元バックパッカーの建物を改装して作った語学学校なんですが、元バッパーというだけあり、ドミトリー(基本的に生徒の宿泊用に用意されているのですが、卒業生のお友達と一緒という事で許可を頂き一週間ほど滞在した)、共同の大きなキッチンスペース、旅行会社(直接バスのチケット予約したり、ツアーの申し込みができる)、カフェ(なんとお酒も売ってて昼間からみんな飲んでいる笑)、仕事先紹介&サポート(地元のホテルや飲食店と協力体制)などを兼ね添えていて、”バッパー&語学学校&旅行会社” としてバイロンベイの観光産業に大きな役割を担っている感じでした。

バイロンベイの学校らしく、毎週のようにパーティが催され、学校のスタッフと生徒が垣根なく盛り上がり、バンド演奏に合わせてみんなノリノリでダンスしてて、、ついていけませんでした。笑。(私はこっちのバイロンベイには馴染めないな、、と最初の頃に感じて最後までやっぱり馴染めませんでした)

バイロンベイに学校を作った結果、沢山の若い人で賑わって、飲食店も潤うし、ネットでも話題になったりしてだんだん認知されて観光客も増加して、リゾートホテルやバッパーも常に高い稼働率が続き、今の観光地バイロンベイが形成されてきたのかなーと書いてて思いました。元々バイロンベイが魅力的な場所だったのが大前提ですが、、日本の地域活性化のヒントにもなりそうですね。笑

昔のバイロンベイ時代の元祖ヒッピーであろう風体の(しかし今は浮浪者的な感じで何となく街から浮いてしまい人々からも見て見ぬふりされている感じの)おじさんとひょんなことから話すようになったのですが、そのおじさんが「今のバイロンは昔とは全然変わってしまった。特に夏は観光客が増えすぎてうるさくなっちゃってねぇ。居場所ないねぇ」と寂しそうだったのが印象的でした。そのおじさんやそのお友達に教えてもらいコミュニティセンターの無料の炊き出しに連れてってもらったり、仕事がなかなか見つからない私に親身になってアドバイスをしてくれたり、アボリジニの文化に興味があると言ったら知り合いのアボリジニのおじいちゃんに会わせてくれたり、なんか面白い出会いでした。

ザ・観光地なので基本みんな誰かと一緒にいて楽しんでいるので、そういう場で一人でいる時間が多かったのが客観的に孤独で自分で寂しさを増幅させてしまっていたのかもしれません。

それでもなぜ4ヶ月もバイロンに居続けたのかというと、私の場合は、毎週参加していたヨガがすごく大切な時間になり、そこでの繋がりから人の輪が広がっていったことと、やっぱりバイロンの自然が好きで離れたくなかったから、、だと思います。

田村:
バイロンベイ論の続きですけど、語学学校が町おこしの起点になってる。だけど商業観光っぽい感じもあって、ちょい馴染めない感じもした。

でも送ってもらったビデオですけど、あれもノリノリなんですけど、あれには素直に感動できたんですよね?

ここで笹川さんから送っていただいたビデオをあげておきます。
「(笹川さんの解説)ある日バイロンの街を一人で自転車で走っていたらコミュニティセンターから音楽が聞こえてきて、ふら〜と吸い寄せらるように入っていたら、この光景に出くわしたんですが。ビデオからも伝わるかなとは思うのですが、会場のハッピーな雰囲気に圧倒されて感動したのか涙が止まらなくなって記録に残しておこうと思ってビデオを撮ったのですが。すんごく楽しい時に人目を気にせず全身で表現できるってなんて素晴らしいんだろうと。音楽の力も感じて、色々な意味で救われた瞬間でした:) 写真やビデオも時間が経ってから見返すのもいいものですね。」

このビデオなんですけど、これだけだとよくわからないのだけど、多分その場の雰囲気=空気感とか臨場感がすごーく良かったんだと思うのです。その場に居ないとわからないという類の。

で、質問は、なんでバッパー(兼語学学校)の観光的なダンスパーティは苦手っぽく感じて、このコミュニティセンターは良いと思ったのか?です。

これはディープなところにつながるから聞いているのですが、「あなたは何を求めているのか」論でもあります。

バイロンが良かったのは、多分に笹川さんの内面が次のステージにいく臨界点に達しつつあったというタイミングもあったんじゃないかなーって思います。
アジアを旅する前史から始まって、オーストラリアをあちこち歩いて、「楽しいけど寂しい」という感覚が最高潮になってたのかな?

いろいろな垢が落ちていって、魂が非常に感受性の強い状態になってて、だから自然でもなんでも沁みてくるんだろうし、素朴でナチュラルなものは受け入れられたし、ヨガでもなんでも内面と対峙するようなものは素直に入っていけたという、違いますかね?

で!そこをしつこく聞いているのは、これからやるインバウンドビジネスにおけるコンセプトに関わるからです。2つのバイロンのどっちに行くの?です。
商業・金儲けとしてやるんだから、成功するのはその語学学校的な方向なんかもしれないけど、ゆくゆくはそこがネックになっていくような気もするのです。

だから、同じやるにしても、上越という古くからの地域の本当の心に触れるような良さをいかに伝えていくか。単に商業施設に連れて行って金落とさせて、土産物買わせてって古い方法論ではない、新しい(それゆえに理想的で甘っちょろい)方向性もあるかと思います

決定権限はないでしょうけど、そのあたりが将来的な笹川さんのテーマになっていくんじゃないかなって。言葉にしたら陳腐になるけお、「素朴な本物」が良いのだろうし、それが心にくるのだろうけど、そのあたりで突っ込んだ意見とかありますか?

笹川回答
そうですね。バッパー観光的なダンスパーティは、会場となっていた語学学校の元生徒だった日本人とスイス人のお友達が行くという事で一緒についていったのですが、南米やヨーロピアン、アジア系のイケイケな若い人たちがノリノリで踊りまくっていて。学校の延長線上という事もあって、そこにいる皆が一つのギュ〜っとしたエネルギーの中で楽しんでいる感じがしました。そのエネルギーの中に入リ込まないと楽しめないような感じで。友達が色々人を紹介してくれてその中に入れようとしてくれるのですが、テンション高くして楽しく演じている自分を見せているだけで実際は一人虚しく浮いてるようなそんな感覚でした。

一方コミュニティセンターの方は、(バイロンベイに来て3ヶ月目くらいだったと思いますが)入った瞬間からその空間にいることが幸せだなぁと思ったんです。若い人もお年寄りの人も、体型も服装もバラバラの人たちが(もちろんお酒もタバコもなしで)、純粋に音楽を楽しんでいる空間だったのがすごく良くて。ひとりずつそこにいる人を見てても飽きないような。でも見てると相乗効果でこっちまで音楽に合わせて踊ってしまうような、そんな空間だったので感動したのだと思います。

> いろいろな垢が落ちていって、魂が非常に感受性の強い状態になってて、だから自然でもなんでも沁みてくるんだろうし、素朴でナチュラルなものは受け入れられたし、ヨガでもなんでも内面と対峙するようなものは素直に入っていけたという、違いますか

最初の1ヶ月はバイロンに染まろう(イケイケの自分になろう)とクラブに行ってみたり、元語学学校の生徒でバイロンの楽しみ方を知っている人と一緒に過ごしたりしていましたが、どうにも自分にはしっくりこなくて、最初の頃のお友達とも徐々に疎遠になり、色々と混乱していた頭を整理するため、毎日やりとりしていた彼とも一旦距離を置き、一人になってバイロンベイでの日々に浸かりました。

お昼すぎにホテルでのクリーナーの仕事を終えたら、そのまま目の前の海で泳いだり芝生で寝転んだりして昼寝をして、夕方からはモイさんのレストランでキッチンハンドをして、バイトが終わったらまたビーチによって夜の海をぼーっと眺めて星を眺めてきれいだなぁ〜と。「楽しいけど寂しい」という感覚が最高潮だったかもしれません。

ヨガを通じて感覚の近い友人たちもできて、ヨガからさらにディープな瞑想教室に参加したりもしました。
バイロンベイでの内面と対峙する日々の中で、自分の感覚を信頼する事の大切さ、を体ごとそのまま学んだような気がしました。何かを決める時なんかは特に自分の腹の感覚、皮膚の感覚をもっと信頼していいのだな、と。また五感や感覚に意識を置いて周りを眺めたらそれだけで楽しくて飽きないものだと、バイロンの自然の中で体感できたのはとても大きい収穫でした。

> そのあたりが将来的な笹川さんのテーマになっていくんじゃないかなって。
> 言葉にしたら陳腐になるけお、「素朴な本物」が良いのだろうし、それが心にくるのだろうけど、そのあたりで突っ込んだ意見とかありますか?

「素朴な本物」を極めたいですね。
上越地方にしかない価値や面白いものを外に伝えたい、と言っている割には私自身まだまだ具体的な上越の魅力について模索中なのですが^^;

私も含めて実際に住んでいる住民は「ここには観光資源もないしアピール力もないからね〜」と最初から諦めてしまいがちなのです。

でもインバウンドに成功して外国人観光客が増加している他の地方の取り組みをみると、外国人観光客に喜ばれている体験は まさに 素朴な里山の原風景だったり、古民家だったり、地元人が集まる朝市だったり、商店街を歩いてお店の人との触れ合う事だったり。

素朴だけど誰の心にも共通して暖かくなるような、そういう体験を求めているからこそきっと地方や田舎が選ばれているんですよね。

そういった体験を上越でも提供できたら、上越以外の方や外国人観光客の人に喜んでもらいながら地元も元気になって理想だな、と思います。日本のことや上越のこと英語でスラスラ語れるくらいの知識とそれを伝えるための英語力を必要とするので、そこのハードルをまずはクリアしない事には始まりませんが、これはもうやりながら試行錯誤の連続ですよね。頑張ります!笑

ちゃんと質問の答えになっているといいのですが^^;よろしくお願いします〜

(二回目はどうしたっけ?という問に対して)二回目ワーホリビザは取らなかったです!ギリギリ2回目も取ろうと思えば取れたのですが、結局取らずじまいでした。

田村まとめ
笹川さん変わってないなーって、うれしくなりました。WHに来る前のメールもこんな感じで、「うわあ!キラッ!」ってピュアな部分。それは、カッコいいとか、イケてるとか、今流行りのとか、話題のとか、そういうチャラいのではなく、本文に何度も出てくる「素朴な本物」感。WH来る前に、地元新潟でチャーリーさんという外国人が、地道に素朴に子供達のボランティアやってるのに触れて「いいなー」と思ったとかそういう部分。「リア充定食」みたいな用意されたパーティではなく、どっかのコミュニティセンターでたまたま見かけた歌と踊りにビビっとくるところ。

てか、ヴァージョンアップされてますよね。こんなに魂晒してやってたら、いちいち外界に触れるごとに傷ついたり悩んだりしてるだろうけど(実際してるし)、それでもメゲずにブレない。「け、しょせん」とかイジケない。むしろそれを通過することで、審美眼が確かになったような気がします。
ダイヤの原石のようなピュアなものが良いのでしょう。誰でもそうでしょう。でも、ダイヤの原石って要するにただの石ころですからねー。それが原石だと見抜くにはそれなりの鑑識眼がいる。キラッと光ってくれたら誰でもわかるんだけど、全然キラキラしてないんだけど、それでも気付く。ピュアさのカタチに囚われないというか、バイロンでの楽しいけど寂しい時代が、それを磨いていったような気がします。

だからこそ、カタチにとらわれず、保険の外交だろうがなんだろうがとにかくやる。やればどこかに原石はあるかもって思える。

そしてそれが次世代の観光のコンセプトになっていくんじゃないかってビジネス論にもつながると思います。観光の非観光化というか、いかにも観光って設備ではなく、いかにビジターに内面に対峙させてあげるかという、笹川さんがバイロンで経験したこと。
笹川さんもお書きになってますが、「素朴だけど誰の心にも共通して暖かくなるような、そういう体験を求めている」と。これって世界的な傾向だと思います。物質文明と精神文明のバランスっつーか、物質的には今は先進国じゃなくても結構満たされてきてて、逆に精神的な部分(安らぎとか、感動とか、パーソナルな)が求められている。所有価値から経験価値へってやつですね。

ただ、それを商品化するのは難しいんだけど、それだけにチャレンジングな仕事になると思います。営々と積み重ねバイロンベイで臨界に達した貴重な体験が、これからのお仕事や生き方のベースになっていくというのは、最初に本人が書かれていたように、まさに「点と点がつながった」ことだと思います。

 

 

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