錦織さんのインド物語(3)~なぜインドなのか?インドでの仕事の詳細は?

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Part01Part02から続きます。

ここから僕と錦織さんのディープな質疑に入ります。最初は4回で終わらせるつもりだったけど、全然終わらん。やればできるけど、長すぎて疲れるので短く分けていきます。

田村からの質問
(1)なんでインドに行ったの?インドで何をしてたの?

まず高橋先生に教わった「生きる」原型
自分のコアな部分の話なので、まず中学校の頃に影響を受けた高橋先生との話から始めさせてください。

高橋先生は吹奏楽顧問+国語の先生でした、先生は当時30代後半。10代の私たちに生きていく上で大切なことを体験させてくれました。
各学年20~30名ぐらいの部員がいたので100名近い数の多感な時期の部員が日々ぶつかり合い理解し合う、これはすごい経験でした。今の私の人間の根底を作ってくれた経験です。先生は週に一度部員全員から提出される「連絡帳」を通じて全員と話をしていました。連絡帳には、先生からのコメントがある日もあるし、他の部員が連絡帳に書いていたことを先生が代筆してそれがプリントとして挟まっている日もある。当時パソコンはまだそんなに普及していなかったので、先生の全部手書きでした。プリントには名前は書いてないし、人物を特定できる内容ではないので普段顔を合わせていても「まさかそんなことが」という気持ちを抱えている同級生や先輩、後輩の気持ちを知り感受性を揺さぶられたことを覚えています。

「連絡帳」は、もちろんただのツールであって、本当に大事なのは対面での話し合いでした。夜22時まで話し合うような日が連日続いたこともありました。心配した親が学校まで怒鳴り込みに来たこともあります。そんな親に先生は丁寧に理由を説明し、今彼らが向き合わないと後悔しますから、どうか辛抱してください、と説得していました。夏休みの練習が1週間以上も話し合いで潰れて全国大会への練習がどんどん遅れても先生は楽器に触ることを許さず、全員納得いく話し合いができるまで部屋を出てくるな、と言われました。

大勢の人前で自分の「素直」な意見をいうことがどれだけ大変だったのか、この時初めて体験しました。口を開くまで30名の部員が膝を突き合わせて座って待つ。数名だけ少し意見を言って9時から5時まで一日過ぎることもある。待っている間、真剣に黙り考える子もいれば、早く帰りたいという子ももちろんいる。段々と意見が出るようになると、自分が考えてもみなかったような意見や気持ち、生き方をしている部員がいることを知り、真剣度は増して生き、黙り込む、考える。その作業を繰り返し「誤解」が妬みを生んで、「みんな違う」ことを本当に理解するようになりました。

3年が過ぎ、引退する頃にはお互いを理解しさらに音を重ね一つのものを作り上げるので最高の音楽が出来上がる。私も、真剣に音楽に向き合い、続けました。

音楽面については、初心者が全国大会を目指すのだから、厳しい練習だったと思います。基礎練習の中には楽器を触るものよりも、体力づくりの走り込みや歌、ストレッチに筋力トレーニング、楽器の掃除、部屋の掃除、いろいろありました。楽器に触っている時間は、個人練習とグループ練習が中心。有名な先生のレッスンなどは年に数回ある程度で、ほぼお互いが意見を出し合って上昇していくのです。みんなで音を合わせる合奏はほんの一部で、合奏に至るまでに行った練習が中途半端だと、数分で合奏が打ち切られることも。

先生の口癖で「人生は終わりがあるから面白い。人はいつか死ぬんだよ。今頑張らないでいつ頑張るんだよ」って。「本気で何かに取り組むことが一番の近道」で環境や体調のせいにしていると人生はあっという間に過ぎていくと。

正直、中学校を卒業した後、新しい人間関係を作っていくのは挑戦でした。当たり前だけど高橋先生や気の知れた仲間はいないし、自分を信じてやっていくしかなかった。高校で始めたオーケストラ部では必死でした。中学校での成功体験をなぞっていくだけだともちろん上手くいかないし相手を理解することよりも自分が理解できなくなって、グレた時期もありました。

今思い返すと、高校~大学と音楽は続けたので好きだったんですね、誰かと音を合わせるという作業が、とっても。でも、どうやってそれを新しい環境で出来るか自信がなかったです。

社会人になり、音楽からは離れたけど「人と何かを作る」という経験はずっと続けました。仕事でも常にそれを意識していたし。インドに来て、ここに来て、それを音楽を通じてできることが原点回帰のような気持ちです。

高橋先生には1月に、10年ぶりぐらいに会いました。市立船橋高校の吹奏楽部顧問をやっており、訪ねた時に吹劇という先生が生み出した新しいステージの形を見せてくれました。先生が編曲しテーマを決めた内容に子供達が歌と踊りをつけていくのです。私たちが見せてもらったリハーサルのテーマは「母と子」でした。子供たちの懸命な姿勢とパワーに私も彼も涙が溢れました。先生もそんな彼をみて泣いていました。「あんなに綺麗な目で”Beautiful”って言われたら心がぎゅっと打たれたよ。インド人はみんなあんなに綺麗な目をしているの?」って。笑
先生は後3年で引退するらしいので、そんな目をする国の人たちと触れ合ってみたいと、インドに行こうかなと言ってくれています。先生がくる時には私のプロジェクトも少し波に乗って一緒に何か音楽を通じた活動ができたらもう夢見たいですね。

高橋先生 市立船橋吹奏楽部の生徒さん スルタン君と私 (どこ?あ、中央両脇か)

ということで、何かを決断したり実行するときに私の体には高橋先生に教わった経験が染み付いていると感じます

再び海外へ~ローカルで働くこととインド
日本で新卒から5年社会人経験を積んで、3週間のAUS海外体験をし、そこから中学校での英語非常勤講師を経て、AUS10ヶ月のワーホリ、日本に帰国して英語を使った早稲田大学での仕事に従事して充実はしてました、、、

日本での生活も十分楽しかったけど、段々と日本にいる外国人の人と接すると・・・どうも物足りない!?自分がいる感じはして「物足りない感はどうして?」と考えたとき、「海外現地で働く経験」がまだできてないじゃないか!と気がつき海外就職を決意します。

最初はインドで就職なんて一つも考えてませんでした。
英語圏であればアメリカ・カナダ・シンガポールで探してましたので。でも実際に仕事内容とか見てみると「先進国での就職」って日本での就職とあまり仕事内容が変わらないんですよね。現地の人とガチでビジネスするっていう感じはない。

当たり前だけど、日本人である以上、「日本人であることを最大限に生かした採用枠」が多いので「海外にいても日本語100%、対日本人・日系企業へのサービス」になっちゃうんですよ。その点、やっぱり魅力は感じられなかったです。

あくまでもローカルの人たちと一緒に何かやりたかった。そんな中、ふらっと旅したインドでインド人の彼に出会います。それでも最初はインドで就職なんてやっぱり発想の中にもなかった。
でも、ある日ヒマラヤの山間にある街を彼と散歩にしてたら日本人の女の子に会ったんですよ。その子はインドで現地採用で働いてて、旅行でヒマラヤに来てた。海外就職を考えている話をしたら、「インドでも就職先あるよ!」と話を聞かせてもらいました。

インドでも、高い給与を出して外国人となる日本人である私たちを雇うのだから、基本的なビジネススキル+日本語+日系企業へのアプローチは3点セットのように仕事内容に付随して来たけど、インドは圧倒的にインド人とのやりとりが他の国よりも多そうだったのと、これから絶対伸びるっていう国内全体の勢いみたいなのを肌で感じたので、「よし、インドで仕事探してみよう」とインドでの就職活動を始めました。数社トライして、結局過去に経験のあった人材系の会社に面倒をみてもらうことに。

現地での仕事内容
ボスは最初は日本人の方々で、最終的にはインド人社長に直接報告・相談していました。
在インド日系企業へ研修サポートで研修は大きく分けて2つ。

一つはインド人への日本文化、商習慣理解の研修で報連相やPDCA、時間管理やチームワーク、協調性、おもてなしの心、などソフトスキルを学ぶコース。

もう一つは、インドに駐在に来ている日本人へのインド人文化理解研修でインドの歴史・社会構造・国民性・優先順位・ビジネスのコツなどをトピックにしていました。

特別枠で、すでに企業内の雰囲気がポジティブであれば最初からインド人と日本人双方が一緒に座って受講できる異文化コミュニケーションのコースもありました。
対象のお客さんとなる日系企業は半分以上は誰でも知っている超大手企業の方々。その大手企業のサプライヤー的な位置で進出した中小企業です。

インドで知り合った日本人女子(戦友)と踊ったボリウッドダンスでの一枚

まず相談のあった従業員研修への問い合わせのヒアリング企業訪問、基本的に対面で訪問し現在企業が大体どのフェースにいてどんな教育が必要なのかをコンサルタントとして聞きます。

この内容を持って、インド人講師の先生がカスタマイズした研修コンテンツを考えてくれるので、その内容を咀嚼しお客さんに提案する顧客対応の窓口が私でした。

インド人・日本人双方を巻き込んで1年以上のコースで提案することが多かったです。研修の内容はビデオや教材を使った基礎理解から、その企業の問題に訴求したケーススタディを解くものまで。
ケーススタディをやっていると、日本人の期待が全くわからない・・・と嘆き始めるインド人もいるし、逆にインド人の思考回路が全く理解できませんという日本人もいます。
そんな双方の国籍が普段一緒に仕事しているんだから、面白いですよね。田村さんのインド人同僚(大音量で音楽聴いてる人)にも妙に共感しちゃいます。インド人は研修とか学びの場が大好きだと思います。良く発言してくれるし意見交換も活発。でも、イベントっぽくなっちゃうのですぐに忘れちゃうっていう欠点もあったけど。日本人は発言こそ少ないものの、良く人の話を聞くし「研修に慣れている」とインド人の先生が良くおっしゃってました。

研修チームのメンバー 私の誕生日会

インド的な光景~箇条書き
ここで私の周囲にいるインド人の日常生活で面白いところ、驚いた話を少し。実際研修の時に本気で「インド人のいいところが一つも見つけられないんですが教えてもらっていいですか?」と日本人の方に聞かれたことがあります。下記ランダムに箇条書き。

・タバコは1本から購入、ボックスで買わない(理由:ボックスで買うとコントロールできないから。もちろんボックスの方が少し安い。。。)
・キヨスクで120円のおやつを買った時、150円払って30円の釣りを待っていると、細かいのないので30円分の飴とかチョコをくれる
(理由:30円ぐらいの小さな単価だとお金に対しての感覚がない。共有するものという意識が強い。)
・電話番号を記憶している人が多い。(理由:暗記の文化、携帯電話のようなモバイルで持ち運ぶものが最近までなかった。メモする文化はない。)
・知らない人にも話しかける。例えば渋滞中でリキシャのおじさん同士が道路で話出すとか。(理由:人と人との距離が近い、大阪のおばちゃんみたいな。)
・財布、携帯をなくしても焦らないし執着しない人が相対的に多い。(理由:現金を持ち歩かない。新しいのを買う理由ができたぐらいに思っている。)
・ジュガードの精神、ジュガードとは短期的措置の意味でその場しのぎの対応対処に優れている。(理由:限られた資源の中で生活する必要があるので。)
・現金(かなりの巨額)を自宅にタンス貯金している。(理由:銀行を信じていない。税金対策。現金主義。)
・男同士でも手を繋ぐ、連れションする(理由:親の過保護。子離れできない同居生活。若者が1人でなんでもできなくなっている文化。)
・道端で会った人でも、難しい商談でも、懐かしい再会でもとにかく握手から始まる。(理由:挨拶の一種)
・ゲップは失礼ではない(理由:美味しいものをたくさん食べたという証拠になる)
・鼻水を人前でかむのは大失礼(理由:鼻水は汚い。汚いものを人前で見せることは失礼。)
・仕事中に携帯電話でちょくちょく話していると思ったらお姑さんからの小言、お嫁さんから今何してるのか確認(仕事に決まってるだろうと本気で疑問だけど・・・・)、大家さんからの水道代について、旦那さんからの子供の迎えについて、、、諸々。(理由:インド人は会話が大好き、大事。人に迷惑をかけるという意識はなく、話したい時に話したい相手に話しかけます。の割に新しい環境だと急にシャイになる人もいる・・・)
・仕事以外で忙しい人が多い(理由:親に頼まれた小さな用事から、兄弟のビジネスの手伝いまで。。自営業が多いのが背景)
・締め切り通りに出す、という感覚も少ないし、締め切り通りに受理できると思ってお願いしている人も少ない。(理由:基本時間の流れがゆっくり、時間通りに行うことのメリットや成功体験が少ない。時間通りやってもその次の工程が遅れることが多いので自分だけ時間通りやってもしょうがないと思う。)
・文句が多い割に、言ったらスッキリしている人が多い。(理由:承認要求が強いと思いきや、本気で我が道を行っているだけ。)
・全体が出来上がってないのに始める。例えば、サウンドチェックが終わってないのにお客さんが客席に入り始める。(理由:オーガナイズされていることに美意識を持っていない。)
・聖徳太子のように一度にいろんなことを聞いて考えているが、実は直近で聞いたことしか覚えてない。タクシーのおじさんにどこに行きたいか乗車時に説明しても降車近くになると忘れる(理由:長期で考えてもしょうがないという感覚。計画してもその通りにいかないことは計画しない)
・貯金は計画してしている。(理由:将来のことを考えている)

浮いたり沈んだり
私個人の話でいうと、事業部を立ち上げて最初の2年ぐらいはお客さんを集客してとにかく一つ一つの手作り研修を完成させて実行していくことで必死でした。

2年を過ぎたくらいからインド人との人間関係に悩みました。
何を考えているのかわからなかった。でも聞くのが怖くて、想像で提案したりしたのでもう悪循環でしたね。社内でも社外でも、インド人との距離は広がるばかり。

でも、自分から話しかけたり理解しようとしたら、少しずつ距離が縮まったのを覚えてます。
自分の中にあった「日本人だから偉い」みたいな感覚が薄れていくのがわかりました。
その後、企業研究にも励み、お客さんに突然聞かれるストレートな質問にも商談中に自信を持って答えられるようになったのは3年目ぐらいからですね。そうなってくると周囲とも信頼関係もできて自信が出てくるので新しい依頼も増えました。

4年目以降になってくると、がむしゃらでやって来たことが無駄に思えて、結局自分がインド人の皆と何も理解できてなかったと自暴自棄になるフェースを迎えました。この時はご飯も食べられなくなるぐらいキツかったですね。

インド人の同僚、参加者の方が言うことも理解できなかったり、自分でどう咀嚼して言っていいか完全にわからなくなっちゃいました。そんな時、インド人の彼に「悪循環の全ての根源は君自身にある!」と指摘され、「習い事をすると良い」とアドバイスを受け、コーチングのレッスン(日本人の先生でスカイプで月1回のペースで半年)を実施。少しずつ自分からインド人の方々に踏み込んでいこうと声をかけたり意見したりしたところ、少しずつ変化が見えて、5年目に入った頃には大分風通しの良い環境になったと思います。

次にインドでビジネスするときの課題として大きく残ったのは「チームで働く」と言うこと。インド人はチームで働くのがとっても上手です。助け合うし垣根も低い。良いリーダーがいれば尚更、そのリーダーを父のように慕い良いチームになっていきます。

5年の経験ではベクトルが「自分」に向いていたので、今後は「外にも内にも斜めにも向けたベクトル」でいきたいなと思います。これは5年とことん「自分へのベクトル合わせ」をやったからそのご褒美に次のステージに行けるような感覚です。

担当エリアはインド全土だったのでデスクワーク+外回りで半分ずつぐらいだったと思います。外回りって言ってもバンガロールって南インドでの研修があれば片道3時間かけて飛行機で飛んで打合せしてその日の夕方の便でまた3時間かけて帰ってきたこともあります。笑

インド国内旅行 弾丸バイクで行った往復12時間の旅(デリー⇄リシュケシュ)

で、また次の日は普通に出勤したり。これは本当に痺れる経験でしたね。大手企業のマネジメント幹部をお客様に緊張した状態でそんなこと5年もやったんだから、本当に良く頑張りました。でも、やっぱりこれも楽しかったから続けられたんですね。

インドにくる日本人へのオリエンテーション@日本、インド駐在後のスタートアップ研修@インドは双方ともにやってたので、これからも個人ベースで続けていきたいと思っています。と言うかむしろ、新しいプロジェクトに近い話なので、(2)のところで詳しく話しますね。


ということで「今日はこのくらいにしといたるわ」(笑)と。
全部で8回くらいになりそうです。でも、分けて書くだけの価値はあります。長すぎると斜め読みになるしねー、勿体無いし。

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