奥村くんの第二章 Part01 NZ編 

AUS/JP体験談に続く第二章。AU→JP→NZ→CA永住権取得までの転戦記録。まずはPart01、NZ編

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奥村くんのオーストラリアのWH体験談はhttps://aplac.net/wh/whnote-index.html#okumuraにありますが、これはその続編。先般、めでたくカナダ永住権が取れた奥村くんからご報告(カナダでの経過)のメールをいただいたのですが、この際、前回から続きで書いてみようかということで、NZ編も含めて、「転戦しながら出世魚」奥村くんの軌跡を書いていただきました。

前回のあらすじは、AUSワーホリの後、1年半ほど日本にいて、看護大学の講師を勤めつつ、APLaCのオフの旗振り役で頑張っていたのですが、当然というかなんというか、また外に飛び出すわけで、体験談第一章はそこで終わっていました。

今回は第二章、まずはNZ編です。

NZ到着
2016年8月の末、南半球の冬の終わりくらいにNZはAucklandに到着する。最初の数週間は、NZの冬らしく毎日が曇りか雨というどんよりした感じだった。

一年半ほど日本にいて英語を話す機会なんてほとんどなく過ごしていた。そういうこともあって着いた当初は、英語がしっかり聞きとれたりできるのだろうか少し不安だった。

※確かにオーストラリアのWH1年で英語力が身についたのだが、「身についた」と胸を張れるようなレベルではないし、日本にいる間も別に英会話教室に行ったりしてブラッシュアップしていたわけでない。
しかし、できる限りオーストラリアで蓄えた英語に対する感覚を失いたくなかったので、積極的に英語に触れる機会を増やそうとした。例えば、教員時代のスケジュールやメモを英語で書いたり、同僚が集めた海外論文の翻訳などを手伝ったり。また、英語の曲や動画を積極的に視聴して、自分が知らなかった英単語をピックアップしてリスト化したり、日本語で思ったことを英語で書いてみる練習はやっていた。英語を声にするアウトプットが少なかったと思う。

家探しは楽しかった。Aucklandもシドニーと同じく、シェア物件が多くのサバーブに散在し、それらを見て歩くのは楽しい時間であった。これくらい(シェア探し)のレベルの英語なら、問題はないようだった。

最終的には、ノースエリアのTakapuna(タプオカ)というサバーブで、家を決めた。

Takapunaのビーチ

家を決める頃には、シドニー時代に通っていたSCEと、当時は姉妹校であったDominionという語学学校へ行くことにした。昼間のコース、16週である。

学校は結構楽しかった。クラスは真ん中くらいだったけど初めてオーストラリアでSCEに行ったときに比べて話しける根性は身についていたし、毎週新しいクラスで話し続けたので、みんなが僕の名前を覚えてくれていたような気がする。おかげでグループディスカッションの授業やランチタイムも楽しかった。人種もオーストラリアのときより広がった感じで、アジアだけでなく南米と北欧やドイツあたりから留学している学生も多かった。

なぜ欧州からの学生も多いのか気になったので、本人たちに聞いたことある。それによるとオーストラリアよりNZは、欧州っぽい自然があったり親近感があるらしい。
たしかに彼らがいうようにNZはオーストラリアのような砂漠やデリデリとした日差し、陽気な場所というより、しっとりとした森林や温暖な感じが似合う印象だった。

某エージェントでの稼働体験
学校に通学している期間は、勉強に重きを置きたかったので、あまりハードな仕事をしたくなかった。かといって何もしないのもバランスが悪い感じがしたので、負担が少なくて、新しい発見があるようなことをしようと思い、とある一般的な留学でエージェントで拘束時間の少ないボランティアとして働いてみた(月~金まで、学校終了から5時くらいまでなので、1日2-4時間程度の稼働)。

もちろん、今回の仕事場は、(僕がお世話になった)Aplacのようなエージェントではなく、いわゆる「普通のエージェント」である。
APLaCは、留学生の成長と自立を目的にしたカリキュラム志向で、最終的には一人で世界を渡り歩けるように色々と基礎から教えてくれる(だからこそ僕もNZやカナダでそれが出来ているのだが)。そもそもエージェントと呼ぶのがためらわれるくらいである。

Aplacなら頻繁にアポさえとれれば田村さんが相談にのってくれるし、それはオーストラリアに滞在している期間だけでなく、一度メール交換すれば世界中どこにいても人生相談してもらえる。そして、Aplacというエージェントにやってきた人同士が、のちのち気兼ねなく交流できるのも大きい(それが日本滞在時にどれだけ励みになったか)。
※aplac以外で同様のサービスがあるとするならば、オフ会は有料の集まりもしくは業者からの広告宣伝をするための集まりとなるかもしれない。そして、留学に関して不安で仕方がない人たちのメール相談などは、僕のよう無料で働くスタッフが返信したりするか、社員対応で結構な相談料をとるか、もしくは留学時の安心という名のブラックボックスに相談者は費用を投ずることになる。金の切れ目は縁の切れ目である。

つまり、このNZにあったエージェントは、留学生から紹介料やピックアップ料金やらホームステイなどで利潤をあげることに専心しているような会社だ。それが普通なのかもしれないし、利潤をあげることは正当な商業行為なのでそこを非難するつもりはない。ただ、利潤になることと、利益に直結しない物事の扱いの落差が激しすぎる点に、ユーザーとしては白けてしまうといっているのだ。
ちなみに僕は、オーストラリアへワーホリで行く前にaplacと比較するために日本ある世界展開している留学エージェントの相談会に行って幻滅したことがあった。利潤自体も適正とは言い難かったからだ。

そして今回はさずがにそのような利益追求しすぎるエージェントでないだあろうと期待しつつ、前回と異なる世界展開をしている留学エージェントのNZ支店にアプローチしてみた。つまり今回のボランティア仕事は、本当に大半のエージェントが(過度に)商業主義なのかを確信するために標本調査も兼ねていた。そしてそこにやって来る留学生がどんな感じなのか興味もあった。結果は下記で述べるような感じで、なかなか商売根性のある留学エージェントだった。

内容は以下の通りだ。
・やってくる顧客(留学生)への対応
・エージェントが管理しているシェアハウスの清掃や家賃の取り立て
・初週にやってくる学生のオリエンテーション
・エージェントのSNSやWEBの投稿と管理
・語学学校やいろいろかかってくる電話対応の取次ぎ

ようは、留学エージェントのボランティアは、「なんでも屋」なポジションだった。

ここで学んだことは、結構この手のエージェントはいい加減だということだ。
学校の入学手続きやホームステイなどお金を払っことは、社員主導でやってくれるけれど、それ以外は僕のようなボランティアに丸投げだった。ボランティアの質で、顧客へのサービスの質が変わる感じだった。幸いにも僕は、ここで働く前に自力で家探しをしてAucklandの土地勘もあったし、ケータイや銀行口座開設から車のライセンスなどなども完了していたので、そのノウハウを顧客に伝えることはできた。ボランティア(留学生)が留学生である顧客にアドバイスするという面白い会社だった。

ボランティアとはいえ、多少なりともお世話になったところを評するのは心苦しくはあるのだが、率直にいって、安心安全なNZ留学を手配してもらうだけの価値、何千ドルも払う内容はない、と思わざるえなかった。
このエージェントを辞める頃(ブッチしようと思った頃)、顧客でも卒業生でない僕の体験談を宣伝用にエージェントのWEBに書けと頼まれた。おそらく今も少しとんがった僕の留学体験談がWEB上にあるかもしれない。

レストランでの稼働
エージェントボランティアを辞める頃に自分が住むTakapunaで英語のコミュニケーションスキルを上げたいという思いもあり、ビーチ沿いのキレイなレストランでサーバー(ホールスタッフ)として働くことにした。

Takapunaビーチ

僕の勤めていた店は、日本の料亭で修行した日本人の板前さんが本格的な日本料理を作り、AucklandでサーバーとしてホスピタリティーNo.1の賞をもらった優秀なマネージャーが切り回すという、なかなか気合の入ったレストランだった。管理職に良いスタッフを集めるだけあって、オーナーは日本の料亭経験もある日本人であり、NZの起業家と共にやっていた。

オーナーたちが仕入れてくる日本の酒やNZのワインと、シェフの本格的な日本料理でそこそこ有名人もやってくる人気のあるレストランだった。価格帯も昼なら一人$20前後、夜なら$80以内で食べられるような設定で、有名人やこの周囲に住む人(比較的富裕なエリアだった)にとっては全然高くない設定であり、常連客も多く、連日賑わいを見せていた。

数ヶ月経ち常連さんとも顔なじみになって、つたない英語ながらワインをおすすめしたり、滞りなく料理がサーブできるようになってきた。次第に顧客からの電話対応させてもらい、予約とテーブル管理などもさせてもらった。

上の写真は、ワインの勉強がてら休みの日に、近所のリカーショップに行ったときのもの。
ここは近所でもいい感じのお店で、働いていたレストランでも取り扱うような商品が揃っている。NZのスーパーマーケットなどとの差別化だと思うのですが、小さなリカーショップでもワインの品揃えにこだわりがあってすごい。
ちなみにレストランのオーナーはワインの常識にとらわれないワイン好きで、毎月何種類か新しい名柄を入荷していた。例えば白の名産で赤ワインのある種類のぶどうのワインを仕入れており、これがなかなか高いけど美味しかったりして、料理と共にワインの顧客満足度が高かった。

このように、しっかりした店で働くのは多くの学びをもたらした。ワインや日本酒の品種や味合いなどの専門知識から、いかにテーブルコントロールをするかというサーブの現場技術までいちから教わることになったのである。最初は単に「家の近くで働く」程度のことだったのが、思いがけず僕のレストラン関係の職業スキルはかなり向上し、それが後日のカナダで生きてくるのだから人生はわからないものである。

労働ビザへ
そんな折、オーナーがもう少し固定のスタッフが必要と打診があった。もうひとり候補者がいたようだが、その人はワーホリビザが切れたら日本に帰国することになっていた。そして二番目の候補者であった僕にお鉢が回ってきた。マネージャーからオーナーへ仕事さばきなどの推薦をもらい、その流れでアシスタントマネージャーという職業カテゴリーでNZのワークビザを挑戦することになった。

アシスタントマネージャーになるためには、衛生管理者やLCQというアルコールに関する資格、マネージャーライセンスが必要だった。それらを取得する勉強や講座に行くことになった。
他にも同時進行で、ワークビザ申請に必要な書類を日本へ帰国して集めたり、翻訳したりをせねばならず、ワーホリ後半は仕事とビザへの準備で意外とやることが充実していた。

余暇時間~魚釣りとオフ
といっても働いてばかりではなく、余暇時間も楽しんだ。

Aucklandは周りが海に囲まれているので海釣りをはじめた。日本にいるようなヒラマサ、アジなどの青物やタイ、サヨリ、底魚、イカなどの甲殻類やサバに似たようなNZの品種など豊富な漁場だった。

同時に日本でやっていたオフ会もNZで定期的に開催し、先にローカルジョブでビザを取得して動いていた水貝くんや菊川さん、辻さんらと交流を定期的にもち情報交換ができた。

ビザ改正と待ち時期
この2017年は、NZの移民ビザ関係で大改訂がある年だった。

5月にはビザの準備が完成し、アシスタントマネージャーに必要な資格を取得して7月はじめにはビザ申請を提出できた。

8月からの申請分に対して新しいルールになることから、多くの人が改定前の駆け込み乗車的にビザの新規申請や更新をしていた。

申込みが殺到して通常よりビザの審査に時間がかかったのか、1年のワーホリビザが切れてしまう時点になって、未だにビザの結果が出なかった。
とはいってもビザの申請結果が出るまでは、観光ビザのステータスでNZ滞在はできた。

この当時は、NZ3年働けるのワークビザはでなくても1年のワークビザはでるだろうと思っていたし、オーナーたちも思っていた。なぜなら会社も立派な経営規模であり、移民局から目をつけられるような会社でなかった。またスタッフの質やNZのラグビー代表選手や政治家など有名人がやって来るくらいに顧客からの評判もよく、推薦文もしっかりしており、ビザ申請で問われている職業経験の年数要件以外は完璧だったからだ。

※2017年の大型改定前はワークビザの募集要件となる職業経験年数がホスピタリティーではとてもグレーゾーンであり、満たさない場合の申請でも他の条件が優良であれば、有効期限がフル3年のビザでなく1年くらいの短めのビザがおりていた。

結果が出るまで仕事もなく暇を持て余したので、たまたまオーストラリアから遊びに来ていた稲垣さんとNZの北島にあるRotoroa(ロトロア)やTaupo(タウポ)にオフ会旅をした。はじめて自分の足でAuckland以外の街へ赴くことができ貴重な体験だった。その頃には少しずつながらレストランでリスニング力は鍛えられていたので、何も臆することなく遊べた気がする。

Taupoの温水を使ったエビ養殖場での釣りは楽しかった。
ちなみにエビ釣りは、のちのちカナダで出会う現在の彼女の母国、台湾の主要なアクティビティだ。養殖場が作ったエビの一部が釣り場に放たれ、釣ったらそれをその場で調理して食べることができるらしい。多くの人が家族連れで来たり、カップルのデートスポットになっているらしい。彼女の家族もエビ釣りが好きらしい。

まさかのビザ却下
そして9月の初め頃、移民局から郵便が届き、ビザの申請が却下された。

理由は移民局の2017年の改正でワークビザ取得の主要条件の変更と厳格化だった。僕は、改定前の申請で提出していたが、移民局は新しいルールで僕のビザ申請のプロセスを進めたらしい。この改定で多くのワークビザで働くホスピタリティの人が経験年数や年収制限の枠で引っかかったらしい。ビザ申請におけるグレーゾーンが一切通用しなくなり、日本でのサーバー(レストラン勤務)経験がなかった僕は、アシスタントマネージャーのカテゴリーで必要とされる2年以上の職業経験に達していなかった。。

オーナーたちへ結果報告した際、彼らからアドバイスをしてもらった。
例えば、ワークビザ再申請のため必要な経験を稼ぐまで賃金ベースを少し上げて週20時間程度働きつつ、ホスピタリティーに関連する学校へ行きながら学生ビザで働く方法などだ。

いずれにせよ「数日以内(確か”couple of days”となっていた記憶がある)に例外なく国外に出るべし」いう慌ただしい強制退去の指示が出ているので、ゆっくり考えている暇もない。将来的に、学生ビザを申請するにしても、日本へ帰るにしても、NZで契約していた賃貸の部屋や通勤で使っていた自転車なども残していたし、整理のためには再入国が必要だなと考えた。

オーストラリアで考え中
しかし、NZに戻ってくる前提で日本往復するとなると時間も費用も馬鹿にならない。
学生ビザを取得するとしても学費も半端なくかかるだろうし、あまりここで散財はしたくなかった。なにかいい方法がないかと思った時にオーストラリアからNZへトンボ返りする方法を思いついた。オーストラリアの往復なら飛行機代も安いし、オーストラリアの知人達と会って相談かたがたゆっくり考える事ができるし。

オーストラリアを思いついたときに、すぐにメルボルンで奮闘する吉田さんのことを思い出した。折角ならこの機会に当時学生ビザで働いていた吉田さん宅へ行ってみようと思った。当時「吉田債」という形でカンパしていたこともあったし、伊勢のオフ会からずっと交流が続いていた。気のおけない間柄になっていたと思うので、頼めば、部屋の隅っこくらいは場所も貸していただけるだろうし、なんでも気兼ねなく話せるので、よき相談相手として思い浮かんだのである。

NZ出国する前日までに連絡を取り、ご多忙中のところアポだけとってメルボルンの中心地から少し離れた最寄り駅で落ち合うことにした。

メルボルンで吉田さん一家に再会する。
事情を説明したり、吉田さんの仕事場で掃除のボランティアをしたり数日間、大変お世話になり、そしてとても自分の人生の過渡期に楽しませていただいた。

ここで選択肢として浮上していたのはカナダであった。
ワークビザのオファーをもらう数ヶ月、なんとなく次の人生プランとして、保険代わりに年齢制限最後のギリギリワーホリビザをカナダで取得していたのである。

ここで選択肢は、NZで学生ビザを取りつつ再度労働ビザを申請するか、それともカナダでゼロからやっていくか、である。

偶然にもその当時、石渡航平くんや稲垣さんなど多くの人がメルボルンの吉田さん宅ややシドニーの田村さんのもとへを訪れていた。
僕も皆に会える機会はそうそうこの先ないだろうと思ったし、田村さん宅へ相談する件も兼ねてシドニーへ行くことにした。
シドニーでは、毎日のように日本のオフ会で出会ったメンバーたちやシドニーに滞在される永住者の方と話す機会を持つことができた。

※ちなみにシドニへ到着する前にメルボルンーシドニー間の格安航空券でよくある罠に僕も捕まった。メルボルンは国内線の空港が2つ存在し、いつも利用する側と異なる空港発のチケット買ってしまっていた。空港についてからそれに気づき、空港カウンターで事情を説明し、なんとか2~3便遅いフライトに変更できた。別に時間を押すようなスケジュールでなかったこともありシドニーへは、遅れながらも無事到着した。。

そして、シドニーに着いて、いろいろな成り行きであと航平くんや田村さんとニューカッスルへ日帰り旅をする。この詳細はAPLaCのFBの記事にあります

初めてワーホリでシドニーに来たときは、ニューカッスルのような遠隔地へ電車に乗るということをしなかったけれど、片道3-4時間位の旅が自分のことを振り返りつつ話すには十分だった。

戦略立案
その当時は自分の中のプランとしてギリギリまでNZの学生ビザのもとで、また働くことも考えていた。

しかしNZはとても人気の移民国家であり、また短期間の間に移民局がビザ申請基準を変更するのは目に見えていたし、そのたびに振り回されるのは嫌だなとも感じていた。

以前のようにNZワークビザを延々に延長できない動きになりつつあったし、永住権もポイントのボーダーや申請基準が難しくなったり、数年先の事情がかなり不透明だった。

この旅の終着地シドニーで遂に自分の方向性が決まった。
オーストラリアワーホリの頃から人生のリセットをすることに慣れているので、逆にワクワクしながらカナダに行ってみようと思った。NZでも、普通に仕事を頑張ればワークビザのオファーがもらえる経験ができたし、次は永住権が取得できるように最初から戦略的に動こうと思ったのだ。

ところでオーストラリアはどうかといえば、今までオーストラリアで出会った方々がワークビザ取得に向けて、スポンサー探しなどで四苦八苦していて、とても苦難な道というのを目の当たりにしていた。またその時点での自分の英語力などを客観視した時、ご多分にもれず僕にとってもオーストラリアのワークビザ取得は「高嶺の花」という感覚を抱いていた。

オーストラリアの印象が強すぎたせいか、どこに国であれ永住権どころかワークビザさえ難しいという先入観を抱いていた。
ところが、その先入観はNZ滞在中に覆された。思いもかけず労働ビザあと一歩までいけてしまったからだ。国により時期により、そのあたりはかなり違うのだなと意識を改めて、カナダを調べてみた。NZの経験で必要そうなペーパーワークや申請基準などが事前に検討できるようになったのである。すると、カナダもオーストラリアほど難しくなく、NZと似たような感じでワークビザがでる国だと知った。

勿論、カナダもそう簡単にビザをくれるわけではないだろうが、NZでの稼働経験など、今までの蓄積を駆使すれば射程距離にあるのではないか、という感触を抱いたのである。
※このマインドは今後のカナダ永住権につながった。

GO AHEAD
方向性が決まればあとは動くだけだ。
NZへ観光ビザで再入国して賃貸の部屋の解約手続きなどルームメイトに説明し、家主にも事情を説明しテナントの代表者の名義変更などをしてもらった。

家主も中国系の移民で、僕の今回の事情を理解してくれた。家主である彼の意見では、起業家ビザにすれば良いんじゃないとのことだった。さすが中国系の移民だ。彼らの起業や移民に対する行動力を感じる一言だった。彼らは十分行動できる金を持っているかなど聞かない、まずやることを考えてくてから資金繰りは考えろという感じだった。それぐらいしないとNZでも高騰する物件を何件も取得し、それらの部屋貸しをやりつつ、会社たてたり家族を本国から呼び込めないだろう。

レストランのオーナーへ報告
最後に、いろいろとアドバイス頂いたレストランオーナーへあいさつしてNZ出国の日を待つ日々となった。NZのオーナーからはリファレンスレターを貰った。これは後にリファレンス必須大国のカナダで役に立った。永住権やワークビザ、仕事探しなどでなにかするたびに使わせてもらった。

→Part 2 カナダ初動編へ進む

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