奥村くんの第二章 Part02 カナダ初動編(Vancouver~Banff)

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日本へ一時帰国とカナダへの準備

NZでの整理を終えたあと、カナダに向かう前に日本に一時帰国した。

東京に降り立ち、そのまま実家の奈良に戻るまでの道中、赤羽(東京)、三島(静岡)、名古屋とオフ会をしていった。日本で直接会ったことのないウェブ上の存在(aplacのオフ会掲示板など)だった僕に対して、皆さんにはとても良くして頂き、感謝の思いばかりだった。
思い残すことないように渡辺ジュンジュンや長田さん達と関西でオフ会もさせていただいた。

海外渡航を前にして、オフや移動でかなりお金を使ってしまった。不安もあったが、必要なことだと思ったし、今でも後悔はない。次は日本にいつ帰れるかわからなかったし、実際カナダでの滞在が2年を過ぎているが、帰国の予定が立たないままである。

防寒対策
ワーホリ三カ国目なので荷物の整理もはかどった。
カナダは、冬になると大半の町で−10℃以下になる。調べる限りNZやオーストラリアと比較できないくらい寒いというのはわかった。

たまたま看護師時代にバイク通勤用として購入したカナダグースのダウンジャケットが、ついに出番となった。オーストラリアとNZにいる間、ジャケットは不必要なのでタンスの肥やしになっていたのだ。
やっとダウンの出番が来たと思いきや、蓋を開けてみれば実はそれほど活躍の機会はなかった。カナダの厳しい冬も、体験すると日々の寒さに慣れてくるのだ。建物内は温かいし長時間外を歩かなければ、あまりダウンジャケットの出番はない。僕の場合、体が慣れれば−20℃くらいまでは基本的に日本の冬と変わらない服装でも大大丈夫だった。カナディアンも車にエンジンを掛けたり、タバコを吸うくらいなら外で半袖だったりする。ちょっと出かけるくらいなら分厚目のパーカーとゴアテックス素材のジャケットの重ね着でなんとかなる。

というわけで、日本からわざわざ持ってきたダウンジャケットは、日本の時のように風荒び、顔が凍りそうな極寒日だけ着るようになった。このダウンジャケットは購入以来9年目となるが、特に壊れもせず現役だ。ただし自分の体は、次第に大きくなってきたので、ジャケットが少しタイトになった・・・・笑

英語
あとは、永住権を目指すにあたり、英語のスコアが気になるので受験してみた。
NZに戻った際にネット予約していたIELSTを大阪で受けてみた。今回は専用の公式テキストを買っていなかった為、実践的な試験対策はなく、NZで蓄えた英語スキルをそのままぶつけてみた。結果は、ハイスコアでもなく、とても悪いわけでもない平均的なOverall 5.5 だった。
思い起こせば2014年、オーストラリアに降り立った頃は、全く英語が聞きとれないわ、話せないわだった。Sydneyの語学学校時代も、各国の生徒たちが話す訛りのつよい英語は壊滅的に聞こえなかった。
その時に比べれば、テストを受けてみて満足するほどでないが成長はしていると感じた。テスト中も、思っていたより試験中のリスニングは聴こえた(正確に答えが書けていなかったらしいけれど。。。)緊張したがスピーキングも楽しかった。

昔に比べれば確実に成長している。
しかし喜んでいる場合ではない。
IELTSのoverall5.5というスコアは、オーストラリア、NZ、カナダで看護師として免許を取得する際の参照スコアや、一般的なポイント制による永住権申請の基準を満たしていない。

AUSとNZと丸2年海外にいて、毎日英語使って、それなりに勉強もしてきた。だが、未だに道半ば、というか、いわゆる最低限の「英語ができる」というレベルにすら達していない。例えばオーストラリアの技術移住系の永住権の場合、IELTS6.0は最低限必要なのだが、それにも達していない。

あれだけやって、これか。
英語の大きな壁や高い天井が、いよいよ実感としてひしひしと身に迫ってきた。

カナダ上陸と基本戦略
2017年11月冬の始まり、北京経由でVancouver(バンクーバー)に降り立った。
滞在中は毎日が雨だった。その時は、寒くてもいいから、空気がカラッとしている方がいいなと思った。

カナダといえば、同地在住のAPLaC卒業生の先輩、荒井潔子さんがいる。彼女のAUでのワーホリ体験談はもとより、その後のカナダでの奮闘ぶり、そして永住権取得とご結婚までの近況は逐一APLaCのサイトにアップされており、非常に参考になった。

荒井さんには、NZ→日本→カナダという段階から、メッセンジャーでよくご教示を請うていたのだが、いつも面倒くさがりもせず、親切に沢山教えていただいた。本当にお世話になりました。

それによると、はやりノミニープログラムが良いとのことである。彼女もまた、ユーコン準州のノミニープログラムを使って永住権を取得し、当時も現在も同州のホワイトホースという町で頑張っておられる。

↓位置関係とかわからんので、僕が地図を作ってみました。今回出てくる地名を入れてます。


NP=ノミニープログラムについて

ここでノミニープログラムという聞き慣れないカナダのシステムについて簡単に書いておく(正確に説明し始めると膨大になるので)。

※ここ制度的にいまひとつよくわからなかったので僕(田村)何度も執拗に奥村氏に質問したところ、こういうことらしい。

一言でいえば「村おこし(人集め)永住権」である。
経済の維持や発展させるために必要な人材が慢性的に不足している地域に人を呼び寄せるためのプログラム。言い換えれば、Vancouver(バンクーバー) やToronto(トロント)に比べて、いろいろな要因でカナダ人があんまり住みたく辺境地であり、ユーコン準州とマニトバ州にが行っている。

基本が「人集め」なだけに、永住権の審査も「ふるい落とす」というよりは「拾い上げる」という救う方向で運用されている感じであり、攻略しやすい。それを制度的に結晶化した一括パックみたいなものが、このNP(ノミニー・プログラム)。

非常にユニークと言うか、わかりにくい制度なのだが、ノミニープログラムは「プログラム」であって、それ自体はビザではない。ビザは普通に労働ビザなり永住権になるのだが、最初にこのプログラムを申請して、これをベースにしておくと、そのあとが格段に容易になる。ものすごい特別待遇が受けられる。

手続き的には、雇用主の存在が絶対必要である。
申請書に雇用主が記載する項目もあるし、雇用主発行の書類(推薦文や時給、労働時間などNPで必要とされる雇用条件)も必要。

NPに申請すると、やがて中高時代の三者面談のように、移民局係員+雇用主+自分の三人が一同に会して、「ずっとユーコン州に居てくれるって?」「はいずっと居ます」という、結婚式の誓いのような儀式がある。

NPが認められると、それからワークビザと永住権の申請になる。ワークビザに関しては同じことを繰り返して二度手間じゃないかと思うのだが、さにあらず。NPが認められると、全てにわたって「特急券」を与えられたようなもの。その特急券をゲットするために、NP申請、誓いの儀式という段取りがいる。

どう「特別待遇」なのかというと、まず条件が破格にゆるやかになる。一般の労働ビザや永住権に比べて、英語点その他のボーダーラインがはるかに易しくなる。職種によって違うのだが、現場系の仕事=ホテルのフロントデスクや奥村氏のLight Duty CleanerのようなNOCリスト内のローカテゴリー職業なら、IELTSはoverall 4以上で良い(現況の一般的なスキルクラスの永住権ならIELTSはoverall 6.5から点数が加点)。学歴も高卒からで良い。そして、申請ができれば「(ほぼ)必ず承認される」こと(申請不備、嘘偽の内容で申請、健康診断で不都合がみつかるなどを除く)。
永住権は労働ビザのあとに出すが、別に待つ必要もなく、その翌日に出してもいいし、まず認められる。もう単に手続きだけの問題という感じ。

つまり、NPをして特急券をゲットしておくと、後が格段に容易になり、半分永住権に王手がかかったようなものだということ。ちなみにNPはマニトバ州にもあるが、ここは条件がまた違って、奥村氏はユーコン州一本に絞ることになった(マニトバの場合、他の州で働いた経験があると減点になるという凄い規則があり、それを見落としてBanffで働いてしまったので、自動的にユーコンになったという経緯もある=後述)。

なお、圧倒的に楽勝ストリームのNPの筈なのだが、これにも実は落とし穴があって、奥村氏もそれにはまるのだが、それは後述する。

このようにNPは使い勝手のある制度なのだが、過疎対策でやってることからも、当局のマンパワーが少なく申請しても人手が足りずに審査に時間がかかるとか、細かいところまで広報が行き届いておらず、制度自体がよく理解されていないことなど問題はある。

奥村氏の解説によると、
「(ホワイトホースには)行政サービスの一環で移民のために集まる場所(multi calutual centre)があります。そこで何度か無料で申請書類について質問したり、ダブルチェックをしていただきました。この施設は、移民のためのサービスを多岐にわたってやっています。
主にスタッフによる英語の無料授業や永住権や生活相談、レジュメづくりを手伝ってくれます。他にも移民向けの求人票やテレビやPCやWi-Fiも完備されており、書類の印刷や検索ができます。
無料でコーヒーなどを飲みながら移民同士がくつろげるリビングがあります。潔子さんは職場が施設から近いので昼休みを過ごしによく来ています。僕もCarmacksからホワイトホースに行ったときはこの施設へよく伺います。」
ということで、適宜現地で補充していたようである。

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(以下、体験談を奥村氏に戻します)

複雑なNPの制度を徐々に理解しながら、僕は考えた。
ここで僕が英語のブラッシュアップをして、IELTSを6とか7に押し上げようとすれば、また1年以上英語学校に通わねばならず、それは資金的に困難であった。わずかばかりの貯金も、これまでのNZでのビザ申請、飛行機、オフ会やらIELTS、日本での滞在費用などカナダに来るまで細々と散財していた(そのこと自体に後悔はないのは前述のとおり)。

しかし、ノミニープログラムがいくら易しそうに見えるとはいえ、申請すれば良いというものではない。というか、協力してくれる雇用主を探し出さないことには申請すら出来ない。

そのためには、現地に居住し、職場もみつけ、しっかり稼働し、地道に実績を作って、「覚えがめでたく」ならなければ、「君にはもっと居てほしい」という話の流れにはならない。

見知らぬ異郷で、それが楽な作業である筈はない。
しかし、現場で泥臭く悪戦苦闘するのは、NZ時代で自信もついたし、やってやれないことはないと思った。というか、やるしかないのだ。

さて、ノミニープログラムを狙おうという大まかな方向性は決まったが、善は急げで、いきなり現場に行けば良いというものではなく、今度はタイミング(時期)の問題がある。

荒井潔子さんからの時宜を得た貴重な現地情報によると、冬場のユーコンは、夏に比べてオフシーズンのため仕事が少なくなり、特に年末にかけて仕事探しの対象となる店も閑散となり、経営者も雇わなくなる傾向があるようだった。つまり労力に見合わない時期であり、今(僕がカナダに着いた時点)は、ユーコンに来ないほうが良いとのことだった。

稼働可能な春がやってくるまで待機ということは、逆にいえばノミニープログラムと関係のない地域で自由に活動できる良い機会でもあるということだし、またこの機会に手堅く資金調達をしようと思った。

大きな方向性が、徐々に現実的な実務作業におりてくるつれ、目の前の道もクリアになってきた。天気の芳しくないバンクーバーもワクワクしてきた。

では、自由に、、、どこへ行こう?
色々と検索した結果、カナダならカナディアンロッキーだろうということで、そのお膝元のBanff(バンフ)というエリアに行くことに決めた。

Banff(バンフ)へ
Jasperとの比較考量
バンクーバーに着いてから色々な交通手段を調べているとVIA鉄道(カナダの大陸横断鉄道)があった。一番安い座席(寝台系ではなく単にリクライニングするだけだと思われる)なら、意外と安く大西洋側まで行くことが出来る。大陸横断鉄道は、一度でいいから乗ってみたいなと思った。この路線を利用するとなると、カナディアンロッキーで有名なJasperという町なら駅があり、鉄道も夜中に停まるらしかった。

早速Jasperについて調べてみると、ホテル等は冬の観光地価格で僕の予算ではかなり高めだった。基本的にホテルに泊まらない方向でバックパッカー・ホステルを探してみたところ、残念ながら最寄りのバックパッカーホステルまで結構な距離があった。(HP上で経路を見ると駅からホステルまでバスを勧めるくらいの距離だった。)

鉄道に乗りたいという気持ちだけでJaperまで行くと、冬の夜中に駅に降り立つという悲惨なことになる。仮に到着日だけホテルへ泊り、翌日からバッパーに泊まったとしても、今度はバッパーからバスでダウンタウンまで降りてこなければならない。いつ見つかるかわかならい仕事やシェアのための行ったり来たりするのも現実的でないのではないか?と思い始めた。ここで資金繰りが厳しくなるようなことはしたくなかった。

その点、Banffなら長距離バスに乗れば早朝に到着するし、ダウンタウン内に仕事やいくつか家の情報もあったのでなんとかなりそうだ。現地での機動性という意味ではBanffに一日の長があるなと思い、翌日にはGreyhound(長距離バス)に乗ってBanffへ向かった。夕方から十数時間の長旅だった。
(ちなみに、当時2017年11月ー2018年4月までは問題なくグレイハウンドバスが走っていたのですが、2018年の10月からサービスが無くなりました。現在、Calgaryからの空港バス(2倍ほど高い料金)は定期でバンフやジャスパーまで運行していると思います。 Calgaryからバンフを挟んで反対側となるバンクーバーからの行き方は不明です)。

Banff行きバスの運行表↓

英語がわからんのでおちおち寝てられない件
バスの座席でウトウトして気分が良くなった深夜に近づいた頃、ある町のGreyhoundのdepotでバスを降りることになった。カナダに来てから北米の早い英語が聞き取れなくて、もちろん運転手が言っているアナウンスも聞き取れなかった。バス旅の途中で乗り換えがあるとは知らず何が起こったのか、理解するに時間がかかった。乗降する時に近くにいた運転手に改めて訊いてみた。ようやく、ここで待っていれば次のバスが来るのがわかった。

その場で、半時間ほど暇をつぶしていると行き先ごとにバスがやって来た。次は、スタッフのアナウンスから行き先に関する部分に聞き耳をたてる。バスの扉前でも再度行き先を確認してBanff行き先のバスに乗った。初めての土地にやってくると、優しく運転手が途中で停車先の地名(固有名詞)を順々に言ってくれても、聞き慣れない地名が多くて聞き取りがたい。バスに乗ってから深い眠りにつくことなく、停留所につくたび運転手のアナウンスからBanffというキーワードがでるのを待った。

Banff到着
Banffにつく頃には山々の裏から朝焼けが見えた。

カナディアンロッキーのお膝元である国立公園の中にある街がBanff(バンフ)だ。
本当に町は小さな盆地のようになっていて周囲が特徴的な型をした山ばかりだった。世界的にも人気がある場所なのか、いろいろな人種の観光客が僕とともにバスを降りた。

↑ダウンタウンのホテルとカスケートドマウンテン

↑バンフの高級ホテル(フェアモントホテル)

標高1200m超える土地だけあって少し平地に比べて空気が薄く感じた。
だけどもバンクーバーのような湿気もないし、空気がスッキリしていて、人工物と自然が織りなす風景や山々は絶景であった。

着いた日から働き始めるまでの数日間は、標高が高いと実感する日々がつづいた。運動不足になったかのように息が上がりやすくなった。顔がのぼせ、この山岳地帯の高度に慣れるまで疲れやすかった。

Banffでの日々
バンフの冬は、良質な雪で各地のオリンピック選手が練習に来るくらいに有名だ。バンフ国立公園内には、大きなスキーリゾートが3つある。冬のお客さんの大半が、そこでウィンタースポーツをする。ウィンタースポーツに関連するレンタル用品店やスポーツショップ、ホテル、ギフトショップが大賑わいしていた。

大賑わいといっても夏のバンフ程は忙しくないらしい。夏のバンフは、ゴルフ、キャンプ、カヤック、ドライブやクライミング、ハイキング、トレッキングなどあらゆるアウトドア・スポーツのメッカとなる。独特な形の山々とエメラルドグリーンや透明度の高い湖が国立公園には多数点在し、その壮大な景色が堪能できるらしい。

ギフトショップでの稼働
冬の間も需要のあるギフトショップに住み込みで働くことになった。


↑ギフトショップ店内

シフトに入ると、冬だけでなく夏に向けての商品の品出し準備をしつつ、レジ対応や補充、清掃などをしていた。夏の繁忙期にできなかった倉庫整理(在庫確認)もあった。

3カ国目ということもあり英語で話すお客さんにも慣れてきたし、特に問題なく仕事をすることができた。お客としてオーストラリアやNZからやってくる人がいると共通の話題で盛りあがり、嬉しかった。

夕方で仕事終わるときには、町をブラブラすることが多かった。週を追うごとにつれて、町のそばを流れる川の水が徐々に凍り始め、雪が積もり鳥のさえずりなど動物たちの声が聞こえなくなった。クリスチャンの国らしく盛大なクリスマスのイベントがあり退屈することもなかった。いろいろな人種が観光客としてやってきていた。

↓夕方の仕事帰りの一枚

↓クリスマスのダウンタウン

冬のピークも過ぎると身体も寒さにかなり慣れた。毎日仕事や街歩きでは常にダウンジャケットを着ていた自分に大きな転機が訪れる。洗濯がガンガンできる防水性のあるジャケットとフリースだけで外に遊びに行けるようになったのだ。

↓ダウンタウン内のトレッキングコース

山登り(Sulphur mountain)
汗などで汚れても気軽に洗濯ができないダウンジャケットを着なくても良くなったことで、初心者でも大丈夫なコースが有る山登りに挑戦した。
標高2450mの Sulphur mountain(サルファーマウンテン)は、頂上に展望台とロープウェイが併設されたバンフでも人気スポットだ。(頂上の施設には世界で最も標高の高いカフェ、スターバックスがある。)

↓登山口

この山は、年間を通してハイキングコースが整備されており、雪が積もっていても装備さえあれば麓から90分ほどで登ることができた。冬季の間は嬉しいことにロープウェイの下りが無料になっていた(上下利用すると約5000円)。山頂にも歩きごたえのあるウォーキングコースがあり、ハイキングコースだけでなく、山頂で歩き疲れて辛くなれば、ロープウェイで降りたりもした。

このコースは、ダウンタウンからのアクセスも良く、ハイキングコースを歩けば、誰にも邪魔されず自然が堪能できるという手軽さもあり、ギフトショップを辞めるまでに何度か訪れた。

↓山頂にて

夕方まで展望台でくつろいだときのバンフ街明かりと夕焼けに染まる自然が織りなす景色は格別だった。

日本人ストレス
僕がバンフで働く頃には、すでに中国資本もかなり入っていて、バンクーバーや大きな街のアジア人留学生を働く人材として青田買いするような場となっていた。
例外なくその中にも多くの日本人がいた。留学エージェントがワーホリのために仕事を手配して、働く前に金銭を払ってやって来る人もいた。シドニーでいうような日本人村を愛するような人も多かった。僕が働くギフトショップでもそのような傾向のあるスタッフがちらほらいた。

ちなみに残念ながら僕は、無条件で日本人という理由で人と仲良くすることはない。自分の感性に近い人や尊敬できるなと感じた人としか交流を持たないようにしている。逆に言えば日本人じゃなくても、この僕が決めた条件に当てはまるような人であれば、僕は誰でも仲良くすることができる(てか、仲良くしたい)。

これら自分と合わない人たちとの日々は、はっきり言って自分にはかなりのストレスだった。仕事としてストレスを割り切って働けばいいのだが、海外に来てまで割り切れない。僕は、日本での看護師というNZやカナダで働いた賃金よりも割がいい仕事を捨ててまで、ココにいるのだ。なぜ、日本社会で働くように、おべっか、ヨイショをし、相手が気持ちのいいように偽りの自分を作り上げることを、ここ海外に来てまでしないといけないのだ。

合わない人と割り切るには、それなりに理由がないと割り切れない。たとえ最低賃金でなく、永住権が対価だったとしても、なかなか自分の気持ちは割切れないだろう。

働いている際に例えば、なんとなく「海外移住について」、僕と合わないスタッフと話した時、彼らの中で、「英語ができないから無理な話だな。あの人(バンフのかなりローカルな職場で働く人)は英語が話せるからカナダを楽しんでいる。」というオチが多かった。要約して「英語ができない=海外で住むことができない。」となり、この等式が僕にとってかなり違和感だった。それならば僕は、2014年からオーストラリア、NZにいたことがとてもアブノーマルな出来事になる。ビザがない=海外で住むことができないなら納得ができるけれども、前者の等式に僕は全く同意ができなかった。

彼らとの会話は、日本が人生の全てであり、カナダいるにも関わらず日本での生活がゴールという話ばかりだ。その中にも日本の未来に対して悲観的になっている人もいるが、とても保守的であった。僕は「自分で駄目だと感じるなら、なにかやってみろよ」と思ってしまうのだが、彼らに言ったとしてても到底響くものでなかった。

そういう毎日で仕事中は、ほんとに自分が話していても楽しくなくかった。自分の中でワクワクもしない薄っぺらい話をしたり、世間話でどうでもいいようなことを話すか、仕事の引き継ぎで話すくらいだった。次第に日本人村のようになっている職場の居心地が良くないと思い始めた。春になる頃には、黙々とバンフを離れる予定日まで待つ感じだった。

免許証取得
バンフを離れる前にカナダのIDが欲しかったので、車の免許証もここバンフ(アルバータ州)で取得した。たまたま難なくアルバータ州で取得したのだが、後にユーコンで州の免許証を切り替えする際に大いに役立った。

※ユーコン準州では、日本の免許証を使ったカナダ(ユーコン準州)の運転免許証の切り替えが無条件で行うことができない。アルバータ州のように視力テストだけ免許の交付はしてくれないとのことだった。

※カナダは法律上2枚以上の運転免許証を所持できないということだった。僕の日本の免許証は、Banffの免許センターで返納することになった。そこのスタッフ曰く返納した免許証は、一応Banffを管轄するCalgary(カルガリー)の日本領事館が預かっているらしい。(現在も日本の免許証の返還手続き等を行っていないので、本当に領事館で保管されているのかは定かでない。)

辞める時、ギフトショップのオーナーの人は、スタッフと違って気さくで良い人たちだったので、リファレンスレターや推薦人になっていただけた。ユーコンに来てからも、リファレンスの件で何度かお世話になった。

収支決算
結局、Banffには2017年11月末から2018年の4月中旬までいた。約4ヶ月半。この4カ月半ほどで$4700くらい貯蓄できた。

カナダの稼ぎ事情をいうと、まず、カナダの最低賃金は州ごとに異なりますがオーストラリアの半分から1/3くらい(豪ドルとカナダドルのレートは、1対1.12とかそんなもんだから、ほぼ同じ)。また、ギフトショップは、レストランやホテルのようなチップも基本的にない。
時給は、$14くらい。週35時間ほど働いて週500弱。しかし物価も安く、家賃が月450(週ではない)だったので、月1000ドル以上のペースで貯金できた計算になる。

貯蓄以外の残りのお金は、生活費だけでなくバンフでアウトドア用の靴などを買ったり、バンフからカルガリーまでバスで何度か行ったりした。かなり散財しても、ほぼ自炊していたので、思ったより貯まった。

以下、Part 3 ユーコン編へ→

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