MakiさんWH終了~帰国

Pocket

10ヶ月前にWHで来られたMakiさん(来たときの記録は、ここここ)。
別に本名出しても構わないとのことですが、来た時にMakiさんと書いたので、それに対応させてMakiさんと書きます。

僕が一ヶ月の日本帰省から戻ってきたのが6/30で、その翌日である7/1にMakiさんが帰国時の挨拶に来てくれました。Makiさんはその翌々日に日本に帰国するという、お互いバタバタの状態での束の間の歓談。

WH1年期限にあと2ヶ月残しているのですが、「おし!ここまで!」ってタイム感があるそうです。一足先に帰国されたエレナさんも同じようなタイム感があったと言ってましたが、なんらかの手応えや達成感が感じられたってことですよね。

この感覚はなんとなくわかります。
例えば画家が絵を描いているとき、手直ししようと思えば無限に続けられるんだけど、どっかの時点で「完成」としますよね。それは本人の感覚次第ですけど、何をもって「完成」とするか。それは、これ以上いじくっても、むしろ完成度が下がる、ボルテージが落ちる、だからこのあたりが潮時だという感覚があるのだと思います。
作曲なんかでもそうでしょうし、小説などの文章作成もそうでしょう。細かな部分で緻密に完成度を上げていくことは出来るんだけど、そういうチマチマした作業を続けていくと、「なにか」が失われると感じるときがあります。たしかにまだまだラフで荒いんだけど、そこには貴重な「勢い」があり「熱」がある。ここでチマチマと修正作業をやってると、ミクロ的には完成度は上がるんだけど、マクロ的には勢いが殺され、熱量が下がってしまって、詰まらなくなる。それだったら多少ミスタッチがあろうがなんだろうが、ここを完成としたほうがいいとか。

そういえばよくインタビューで読むのですけど、プロのレコーディングで何度も繰り返していくうちに細かな完成度は上がるんだけど、なんかグッとこない。結局荒いファーストテイクが一番良かったから、それにしたとかいう話。それと同じようなことなのでしょう。
バンドの「グルーブ」なんてのもわかったような、わからないような概念なんですけど、こういう話を聴いたことがあります。ライブなどでバンド全員がノってるとき、リズムが「走って」しまうことがある。本来の正確なリズムから心持ち速くなってしまう。リズムを「食う」とかいいますが、つんのめったような、前のめりになってしまう。メトロノーム的な基準でいえばダメなんですけど、でも全員で走ってると、それがなんとも言えない迫力やノリになって鳥肌モノの感動を与える(ことがある=常にではないけど)と。グルーブってその不正確さというか、人間が本来持ってるデジタル的に割り切れない自然の部分、それを励起するような感覚のことなんかなーと。いずれにせよ、技術は大事、正確さも大事なんだけど、それだけだったら面白くないのですよね。アートにならない。

彼女たちの場合も、1年期限ギリギリまでやることは出来るんだけど、ダラダラやっていると、なにかしら完成度が薄まってしまうような気がしたのかもしれませんね。これは僕の勝手な推測ですし、言語化するのが本来無理なことなのかもしれないけど。でも、そうだとすれば、「達成感」というよりも「完成感」といった方が近いのかもしれない。

ではMakiさんは何を達成・完成したのか?ですが、いろんな表現があるんでしょうけど、本人の表現を借りれば「ビビリが取れた」というか、「取れた」というよりも「越えた」というのが近いのかな。列島中央部にドーンと立ちはだかる「ビビリ山脈」みたいなものがあって、難攻不落にそびえている。何度かアタックするんだけどなかなか手強い。でもやってるうちに、どっかでブチ切れたというか、吹っ切れたというか、その山脈を越えた。そして越えた時点で、その山脈が消えてしまった。

具体的にはシドニー時代を経てラウンドに出るのですけど、バイロンからヌーサまで旅をし、タスマニアでWorkawayをし(WWOOFやHelpXのように労働と宿&食事がバーターになってるもの)、次にメルボルン。でも、なかなか取っ掛かりがつかめず、お金も減ってくるしで、メルボルンでシェア探しとバイト探しをしたそうです。今から思えばなんでメルボルンで留まろうとしたのか分からないのですけど、先が全く見えないまま進み続けるのはかなり恐いですし、精神的にも疲れてきますからね。ここらで腰を落ち着けてってことなのでしょう。

でも、シェア探し途上でMakiさんは一度日本に帰っておられます。風邪を引いてしまって体調が思わしくなく、ここで悶々としててもなーってことで。メッセンジャーで相談してましたけど、一回リングから場外に逃れて仕切り直しってのは全然アリだし、それが無駄なことではないのだと伝えました。
なにか有意義な進展がなければダメってもんではないってことです。むしろ、何ヶ月もなんの進展もない、時間の無駄じゃないのかって期間を経験すること、それがどういうニュアンスで脱却していくかを皮膚感覚で経験することが、結構大きな経験値になります。 なので、そこは好きにおやりください 一番の敵は強迫観念(~しなければ~という思い込み)ですので」と書いてますね。

結局2週ほど日本に滞在しただけで、Makiさんはまたメルボルンに戻ってきて、シェア探し続行。なかなか決まらないのですが、ここでも、
「シドニー時代を思い出して、なかなか決まらないほうが土地勘が出来ていいいんですよねー てか、飽きたらもう違うところに行っちゃうのも手だよ。 どうせ同じことやるなら、エキゾチックなところ(パースとか、南のフリーマントルとか)でやるのもいいです。多分あとになって「なんでもっと早くここに来なかったかなあ」というところが出てきますよ(笑) 基本、これは「遊び」なんで、しっかり遊んで下さい。」「まだあまり遊びと思える精神が養われてなくて、深刻になりそうだったので、助かりました。ありがとうございます。
なんてやりとりが残っています。

さて、頑張ってシェアも決まるし、何度もトライしてジャパレスも2軒決まった。よし!なんだけど、しばらくやってるうちに、なんかバイトもいまいち波長が合わない感じだし、なんだかなーと。
そこで、また思い切ってメルボルンを出ます。ここが大きな転機になったようです。相変わらず先は見えないんだけど、先が見えたら見えたで(安定したらしたで)今度は詰まらないだけだというのを実感したのかな。

そっからが爆走時代の後半になります。もうこれまでとは全然違う。
思い切って移動してみたら、すごい楽しくて遊んでいました笑 田村さんが私が一旦日本に帰る時に言って下さった、何ヶ月も何の進展もない時間や無駄じゃないかって期間を経験して、その後にどう脱却するかという所の経験ができたような気がします。」とメッセンジャーで書かれてますが、その「脱却」ですよね。

この日聴いたのは、色んな人と旅先で出会って、その時時のノリ一発で、あんまり深く考えずにGO!で、あっち行ったり、こっち行ったり、また戻ったり、また行ったり、合計すればオーストラリア1周半くらいしたそうです。誰かの車に相乗りして自動車旅行(ロードトリップ)。自分は免許持ってないので、他人の運転する車に乗り続けているだけなんだけど。

これがメチャクチャ楽しかったそうですし、これまで一体なにをビビってたんだ?というくらいに世界観が変わったそうです。自分が抱いていたこの世界の恐ろしい心象風景が真逆に塗り替えられていく。「渡る世間は鬼ばかり」→「渡る世間に鬼はなし」になっていく。鬼が居ないんだったらビビる必要もないじゃんってことで、ヒマラヤ山脈のようにそびえていたビビリ山脈が、気がつくと幻影のように消えてしまっていたってことかな。
だけど、もともとこういう正反対の諺が今も伝えられているということは、昔っから皆さん同じように感じてきたんでしょうね。

このあたりの心象の細かな動きと、具体的にあそこに行って~ここに行って~という流れは、また体験談にも書いてほしいものです。

僕が日本から帰ってきて、うわ寒いなと思ったんだけど、記録を見ると帰ってきた直後のこの日(7/1)は一番の冷え込みになって最低気温が6.4度。Makiさんもダーウィンなど暑いところから、一気にアデレード→メルボルン→キャンベラ→シドニーと戻ってきたので、二人して「シドニー寒いねー」と言い合わってました。
あまりに寒いので、あったまるためのポトフのような具だくさんスープを作ってて、Makiさんにもおすそ分け。

その代わりでもないんですけど、お土産にもらったワイン。ピノワールはよくみるけど、Pino Grisは初めて見ます(普段飲まないもので不勉強)。最後のsは黙字で、ピノ・グリーと伸ばすみたいね(日本ではピノグリって書かれているけど)。

というわけで本懐達成というか、達成するまでなにが「本懐(メイン目的)」だったのか分からないんだろうけど、なにか大きなモノを得られたんじゃないかと思います。

ただし、それもこれも、ビビリ山脈を攻めあぐねていた数ヶ月以上にわたる悶々期間あってこそ、だと思います。同じことをすれば誰でもそうなるってもんでもないのですよね。このビビリ山脈とかいうのも、彼女が「いやー、もうほんとビビってましたねー」と言うのでそういうネーミングにしただけで、人によって「それ」は違うと思います。

「それ」とはなにか?簡潔に説明せよって言われたら、「自分のポテンシャル(潜在的可能性)を殺している、精神的、物理的制約」かな。

本当は背中に翼が生えているんだけど、でも自分ではわからない。本当はいつでも好きな時にぶわさっと翼を広げて飛び立てるんだけど、でも知らない。なんで?といえば単純に無知であったり、未経験であったりもするでしょうし、いつも背中を壁に押し付けられたり、自分からそういう立ち位置にいるから背中が自由になる機会がないとか。はたまた誰かに背中から抱きかかえられて保護されているんだけど、でも同時に封じられてもいるとか。なによりも飛び立ちたいという思いの高まり、精神の凝集がないと、そういう翼現象は生じないです。悶々数ヶ月は、この下準備というか、なにかの思いが臨界点に達するまでの所要時間だったのかもしれません。まあ、ここらへんはなんとでも言えるんですけど、本当のニュアンスは本人にしかわからないと思います。

僕と入れ違いに帰国したMakiさんは、ロードトリップの経験で、自分でも免許が欲しいというのが今一番の願望らしく、合宿免許に行くとか言ってました。また、Yoshiさんや、いま来られている秋葉さん(次回紹介します、今日シェア移動)とバトンタッチをするように会ったそうです(奇しくも二人とも=Makiさんと秋葉さん=葛飾区在住らしい)。

暗かったのでちょっとブレちゃったけど。

 

 

Pocket